Franck Martin (1890-1974)没後50年です。
20世紀のスイスを代表する作曲家です。
牧師の息子として、ジュネーヴに生まれる。 未就学児童の時に、ピアノを弾き、即興演奏すらした。 音楽理論をたいして学んでいない9歳の時に歌曲を作曲。 12歳の時に、マタイ受難曲を聴き、バッハを師と仰ぐようになる。
正式な音楽教育は受けておらず、ジュネーヴ大学に在学中の2年間に、作曲とピアノを、ヨーゼフ・ラウバーに師事。 1918年から26年まで、チューリッヒ、ローマ、パリなどを転々として、自己の音楽語法の探求をした。
1926年に、ジュネーヴ室内楽協会を設立し、演奏活動(ピアニスト、チェンバリスト)もする。 同時に、ジャック=ダルクロース研究所で、音楽理論や即興演奏を、ジュネーヴ音楽院で室内楽を指導した。 1933年から40年まで、テクニコン・モデル・ド・ミュジーク校長就任。 さらに、1942年から46年まで、スイス音楽家協会総裁に就任。
1946年より、オランダに移住、作曲に集中できる環境になる。 1950年から57年まで、ケルン市立高等学校で作曲の教鞭をとるも、最終的には放棄し、作曲に専念する。
1974年11月21日オランダのナールデンにて死去。
作風は、これまた独特で、20世紀の作曲家だけれども、調性を放棄しなかった。 キャリア後半には、一部、十二音技法を取り入れるが、あくまで、旋律の可能性を豊かにするためでした。
ピアノ曲と、有名な7つの管楽器、ティンパニと弦楽合奏のための協奏曲です。 どちらも、独特の美しさがありますね。