EXPO2025 大阪・関西万博訪問記 その302〜12月1日番外編②閉幕1カ月半後の万博会場へ | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。




閉幕から1カ月半が経過した「大阪・関西万博」会場の様子を観察した、先日の記録をお送りしています。東ゲートに直結していた「夢洲駅(大阪市此花区)」付近を探索しています。


さて、先へ進みます。駅舎の西側では、遮るものなく東ゲート前の広大な広場があったのですが。白い工事用の壁が立ち並び、内部にはプレハブ事務所が閉幕後に設けられたようです。


この間をさらに進むと、駅舎裏側に出ます。

夕方から夜間にかけて、退場者が増加する時間帯には、東ゲートから広場の端に当たるここを迂回し、奥を左折して駅舎入り口へと動線が張られていました。なかなか進まんなあと思いながら歩いていた道です。


これと、会場内周回バス「e Mover」がひっきりなしに走っていた内周道路とを隔てていた柵がなくなっています。もう使われないからでしょう。


回れ右しますと、会期中には入れなかった歩道につながっていました。これを進みます。


内周道路は再び立ち入り禁止になるのですが、いま歩いているのは、会期中に一般客が立ち入れなかった場所。不思議な気分になりますが、さらにそもそもは万博旗を掲揚していたポールから内側には、自由に出入り出来ました。


広大な東ゲート前は白線が敷かれ、工事関係者の駐車場と化していました。この光景はなかなか衝撃的です。



開幕直後の冷え冷えした日も、雨の日も、猛暑の日も、メトロから途切れることなくやって来る来場者を受け入れ続けた東ゲート。


本当にあの万博は終わってしまったのだなと、急に実感が湧いて来たのでした。



さらに進むと、障がい者用駐車場や、自転車・徒歩で会場入りしていた観客用のアンダーパスに差し掛かります。この前で、この先に夢洲駅はありません!と、警備員さんがしきりに案内されていたことを思い出します。



その先は外周道路に出ます。このあたりは、会期中でも入ることが出来た場所。大きなコンテナを搭載した大型トレーラーが引きも切りません。



万博が開催されるまでは、定住人口がなかったという人工島の夢洲。もともとは、巨大なコンテナヤードが並ぶ物流拠点でした。閉幕後は、その本来の姿に戻ってしまいました。



来た道を折り返します。背伸びしますと、方角からこのあたりはリングの左上付近でしょうか。左端のひらひらしたものは「パナソニック館〜ノモの国」。大好きなパビリオンでした。


そして、駅舎裏側へと戻りました。ここも、混雑時には帰宅する観客の迂回路。このあたりで右手に関係者用通路が分かれていました。


その奥に、関係者用の入場ゲート。機械の類はすっぱりなくなっています。これを道なりに行くと、NTTパビリオンの出口あたりに出ます。




駅周辺の探索は、なかなか衝撃的なシーンの連続だったのですが、広々とした夢洲駅の構内に人影がまったくないのには、あの連日の喧騒の中に居たひとりとしては、信じられない光景。



会期中には、長い行列の出来ていたローソン。こちらは、変わらずの営業。


では、ぼちぼちと帰路に就くことにします。
人がまったく居ないので、名物だった巨大デジタルサイネージがこれほど大きなものだったのか、とまたも驚きます。




やはり人影のないホームには、すでに列車が発車待ちしていました。日中は15分おきの運転という、OsakaMetroではいちばんの閑散駅へといっぺんに変わってしまったのでした。



万博会場跡の再開発や、IR(統合型リゾート)の開業までは、このような状況が続くのでしょうか。しかし、ある程度は予想はしていましたが、それ以上の閑散具合に思えます。

今日のまとめです。
12月1日(月)
長田10:23→夢洲10:57
普通夢洲ゆき⑥408-08

11:05 東ゲート前広場跡を散策
11:30 夢洲駅に戻る

夢洲11:34→長田12:08
普通学研奈良登美ケ丘ゆき⑥7201(近鉄車)


パビリオンや展示館しかり、シンボルだった大屋根リングの大部分も、これから姿を消してしまいます。
たくさんの思い出を忘れぬように、しっかりと脳裏に収めておきたいと思った訪問でした。

今日はこんなところです。