「2025年大阪・関西万博訪問記」その31〜4月21日編④スペインパビリオン訪問 前編 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。


4月13日(日曜日)に開幕した「2025年大阪・関西万博」。5度目となった21日(水曜日)の訪問記をお送りしています。




大屋根リングの北側、その上半分を反時計回りに散策中。その道すがらのパビリオンを順番に訪問しています。「スペインパビリオン」に辿り着きました。

母国語でのエスパーニャ、と聞くと、三重・志摩のスペイン村をイメージするのですが。リアス式海岸の志摩半島に、燦々と降り注ぐ陽光の明るいイメージがお国のイメージに似ている、というのだそうです。


ところでこちらのパビリオン、他のそれとは入り口からひと味違います。



大屋根リング下の沿道から、延々と続く階段をまず上るという。これはおもしろいですね。


階段を上り終えますと大きなステージが鎮座。イベントなどはこちらで行えるよう。


大屋根リングからは、それに沿うパビリオン群を眺めるのがこの万博の特徴ではあるのですがこちらはそれとは真反対。


待ち列からリング屋根を行き交う人々の姿がはっきり見える、というのもここだけかも知れません。




10分ほど待って入館。太陽の明るいイメージとは一転、ムーディな前室に入ります。



いまさらですが、スペインは西ヨーロッパに位置する国。フランス・ポルトガルと地続きで、古くから王国が繁栄しているお国です。


南端はジブラルタル海峡をはさんで、アフリカ大陸北端のモロッコと接する位置。地中海にもつながり、ヨーロッパとアフリカ大陸との玄関口の役割を果たす、重要な交通の要衝です。

そういったことで、古くから海洋にまつわる歴史や文化が発達している、ということでも知られています。グーグル地図より。


最初の展示も、やはり航海にまつわるものからでした。



展示されていたのは「サン・フランシスコ号」というガレオン船(16〜18世紀に主流だった帆船)。ただ、これが1609年に千葉県の太平洋沖で難破、地元の人々の尽力で救助がなされたといいます。江戸幕府が成立した直後です。




これが、日本とスペインとの交流のはじまりになった、といいます。


時の初代将軍・徳川家康公(1543-1616)への手厚い返礼にはじまり、あの仙台藩の伊達政宗公(1567-1636)も、通商を希望する幕府の意向もあり、外交使節団をスペインに派遣することになりました。出典①。


いわゆる「慶長遣欧使節団」と呼ばれるものです。政宗家臣の支倉常長(はせくら・つねなが、1571-1622)が率いた一団は、一路スペインへの長い旅に出発します。出典②。



現地での滞在を含め、行き帰りにまるまる7年もの長い年月を要した使節団の派遣でした。



その功績は大きく、ヨーロッパから遠く離れた日本と、スペインとの外交関係樹立に大きな役割を果たしたのでした。

しかし、解説の後半のことは知りませんでしたが、日本人がはるか離れた極東からやって来たことを知った当時の人々たるや。さぞかし驚いたに違いありません。



さて、古くからそのような海洋国家として世界に知られていたスペイン。現在は、海洋技術の向上に注力している、という展示が続きます。



おもしろい水槽ですね。金魚やメダカなどが悠々と泳いでいます。


次室に向かいますと、これまたまったく異なる様相!スペインの印象そのままといいましょうか、太陽の降り注ぐ明るいイメージです。



しかし、壁に取り付けられたビジョンには、さまざまなキーワードが次々と映し出されます。お国のイメージ、だそうですが。

次回に続きます。
今日はこんなところです。

(出典①)
「図説 日本史通覧」黒田日出男監修・帝国書院編刊 2015年2月発行