2025年大阪・関西万博開催!その48〜万博輸送前の世代交代「OsakaMetro20系」後編 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。




4月13日の開幕まで3ヶ月あまりに迫った「2025年大阪・関西万博(日本国際博覧会)」。

会場の「夢洲(ゆめしま)」に唯一、鉄道としてアクセスする「OsakaMetro中央線」について取り上げています。


「夢洲駅(大阪市此花区)」は万博会場東ゲートの目の前に設けられます。朝日大阪朝刊  2025(令和7)年1月3日付け 5面。



万博での大量輸送を控え、最新型車両が次々と投入されるさ中ですが、それと入れ替わるように昨年3月を以て引退した、この「OsakaMetro中央線 20系」。

奇しくも、最後の乗車になった際の様子をお送りしています。昨年、2月のことです。




さて、列車は「生駒トンネル」に入りました。
全長は4,737m、山裾からトンネルに入るがために、並行する「奈良線 新生駒トンネル」よりも1.2kmほど長いという、山岳トンネルです。

乗客はまばら。ですので、車内をじっくり観察することが出来ます。ありがたや。


座席は6人がけのロングシート。



デビューは1984(昭和59)年のことですが、その時代では客用窓は二段窓が主流でした。

安全のために上部だけが開閉可能な仕様ですが、この「」の形の窓も、もうOsakaMetroでは見納めです。いかにも、昭和時代の電車だという感を強くします。



一両隣の、大阪方の先頭車両(2632号車)に移動。こちらには乗客はまったく居らず。

「近鉄けいはんな線」は全線ワンマン運転ですので、車掌さんも乗務していません。この車両は1989(平成元)年2月、日立製作所製造。



いまさら気がつくのですが、車内の蛍光灯にはカバーがありません。

関西ですと、いずれの会社でも覆われているのが当たり前ですので、真新しい気がします。


これも、前身の市営地下鉄時代から変わりません。まとめられて列挙されているのが大阪らしいといいましょうか。わたしは好きです。


トンネルで、府県境の急勾配を越えること約5分。抜けるとすぐに「生駒駅(奈良県生駒市)」にすべり込みます。ブレは失礼いたしました。


これまで、数え切れないほどこの「20系」で行き来した「生駒トンネル」で越える府県境。これが最後の乗車になってしまいました。



思えば、先の「大阪万博(1970年)」の観客輸送のため大量投入されたのが、この「30系」でした。昭和も末期に入ってから「中央線」にも配属されていたこれらを新製投入で置き換えたのが、本題の「20系」。出典①。


そして、来たる「2025年大阪・関西万博」のメインルートとなる「中央線」に観客輸送のために大量投入された、この最新型「400系」に「20系」は置き換えられることになりました。


55年をはさんでの、大阪で開催される万博での輸送に関わる車両には、なんとも、数奇な関係ともいえる経緯があったのでした。

万博輸送を前に、メインルートとなる「中央線」を昭和末期から、令和までの長きにかけて支えて来た「20系」。


思い出のある車両との別れというのは、やはりさびしいものがありますが、ただ、長年お疲れさまでした、と、労う気持ちでいっぱいです。コスモスクエアにて。


16編成96両(中央線0番台7編成42両・谷町線30番台9編成54両)を誇った「20系」でした。出典②。今日はこんなところです。


(出典①「振り返ろう懐かしの千里万博の時代」第11回千里こだわりギャラリー特別展 千里ニュータウン情報館 2023年9月5日〜同10月27日開催 パネル展示より)

(出典②「フリー百科事典Wikipedia#大阪市交通局20系電車」)