今春あらたに開業した「北陸新幹線 金沢〜敦賀間」に初乗りかたがた、開業に合わせて限定発売されたチケットレス企画乗車券「乗ってみよう北陸 WEB早特21」なるきっぷで、富山周辺を日帰り乗り鉄した道中記をお送りしています。

さて、その「雨晴駅」から高岡方向に国道を数分戻ったところには、右に「道の駅」と、海側にはなにやら鬱蒼とした古樹が控えています。

老婦が守る武田家
雨晴
義経の雨晴岩
雨晴駅の東、大きな岩山が海につきだし、年経た松がつばさをひろげるように緑のかげをおとしている。文治3(1187)年、義経一行が鎌倉幕府のきびしい追討をのがれ、奥州へ落ちのびる途中、この岩の洞穴にはいって雨の晴れあがるのを待った。雨晴の地名はこれに由来するものといわれる。

道の駅から国道と「氷見線」をはさみ富山湾。踏切がありますので、これを渡ってみます。
「越中史徴(えっちゅうしちょう。郷土作家・森田柿園=もりた・しえん=1823-1908 が記した越中国の歴史一覧を記した著)」にある。


「其岩いと大なるものにて、上に松など生へり、岩の下はいと広く、いかさま十人十五人位の雨宿りはせらるべく覚ゆ。義経が腰かけ石、或いは弁慶のまな板石とて同所にあり(意訳:その岩はとても大きなもので、その上には松などが生えていて岩の下はとても広く、だいたい10〜15人くらいは雨宿り出来る様子だろうか。義経が腰かけた岩、あるいは弁慶がまな板にした岩さえここにある)」とある。


岩下に「この下よしつね公 雨はらし」の文字を刻んだ石碑がたち、かたわらに義経の像という、高さ1メートルほどの石像を祀った堂祠がある。毎年6月7日、近くのひとびとが岩下に旗をたてて「義経まつり」を催している。
このあたりは氷見線沿岸でもっとも眺めのすばらしいところである。義経岩から少し離れて、男岩、女岩が形よく波間にうかび、それにしたがうように小さな岩が点在する。

馬なめて いざ打ち行かな 渋谷の 清き磯みに 寄する波見に
(馬を並べて、さあ出かけよう。渋谷=しぶたに。雨晴海岸周辺をこう呼んでいた=の清らかな磯辺に打ち寄せる波を見に)大伴家持詠。

次回に続きます。
今日はこんなところです。
(出典①「図説日本史通覧」黒田日出男監修・浜島書店編・刊 2014年2月発行)