暫定ながら、ついに完乗を果たしたJR東日本の全路線。その続編ということで、引き続き「キュンパス」を使い、北東北からあちこち寄り道しながら、帰阪の途に就こうという旅日記をお送りしています。
東京に到着した第2日目(2024年3月12日)。
夕方の出発まで「キュンパス」を使って、あてのない乗り鉄をしています。
「上野駅(東京都台東区)」に着いたのは1時を過ぎた頃。相変わらずのじゃじゃ降りです。

明治の鉄道開業以来、東北方面からの玄関口としての役割を果たしてきたこの駅。広々とした構内には、ターミナル駅としての風格をいまなお感じます。
しかしながら、頭端式という行き止まり式ホームが並ぶ構内には、列車の姿がありません。
それもあってか行き交う人の姿もまばらです。

この地上ホームには東北各地に向かう在来線特急や急行列車が、昼夜を問わず数分の間隔で発着するという、大変な活況を呈していました。

しかしながら、その役割も「東北・上越新幹線」の開業(大宮までの暫定開業はいずれも1982年、上野延伸は1985年)を契機に、新幹線が担うことになります。出典①。

きら星の如く発着していた東北方面各方面へ向かう、多種多様な特急・急行列車は新幹線にその役割を譲り、平成年間まで残されていた寝台特急も、姿を消してしまいました。

それ以降は、在来線の近・中距離を結ぶ電車が主に、このターミナル駅を発着するようになります。

ところで、前回記事で触れた、東京へのはじめての乗り鉄ひとり旅。ありました、この駅の行き止まりホームで撮ったもの。いずれも、大変お見苦しいものばかりですが(汗)1994(平成6)年3月撮影。
「185系」という、首都圏だけで走っていた特急電車。「踊り子号」でもおなじみですが、塗装が違うものをはじめて見たのがこれでした。

拡大してみますと、幕には「新特急あかぎ号」。珍しい種別ですが、もちろん特急券が必要なもの。新幹線が上野まで延伸しても、残されることになっていた在来線急行から、格上げされた列車につけられた種別でした。
赤城山のふもと、高崎や渋川に向かうもの。

さらに「211系」。JR東日本のみならず、JR東海でも長年活躍した、近郊型の電車。宇都宮線か高崎線に向かうものでしょう。

そして、上野駅が始終点というと「常磐線」。
この行き止まりホームから見ると、ひとつ上階に発着していました。
右側の「103系」は、大阪でも飽きるほど見たり乗ったりしていましたが、エメラルドグリーン塗装は常磐線のみ。この姿にはめっちゃ感動しました。

隣には「415系」という、交直流対応の電車。いわゆる中距離電車で、この塗装も常磐線でしか見られなかったものですが、沿線で1985(昭和60)年に開催された「つくば万博(科学万博)」を契機に、一斉に塗り替えられたもの。

といった具合で、撮り鉄にとっては多種多様な列車が次から次へと。大変興奮したことをよく覚えています。ターミナル駅ならではでした。

上野駅は終着駅から通過駅へと、その役目が変貌してしまったのでした。


今回の北東北への旅も、新幹線あってこその遠距離移動が可能だったからこそ。
ありがたいことではあるのですが、話しに聞く新幹線開業以前の上野駅のにぎやかさたるや、大変なものだったようです。




上野から山形へは「つばさ号」に乗れば、所要時間は3時間かかりません。
在来線時代では、最速の「特急やまばと号」でも5時間近くを要していたことを鑑みると、その進化というものは、すごいことです。出典①。

次回に続きます。
今日はこんなところです。
(出典①「国鉄監修 交通公社の時刻表」1979年3月号 日本交通公社発行)