みなさんこんにちは。前回からの続きです。


暫定ながら、ついに完乗を果たしたJR東日本の全路線。その続編ということで、引き続き「キュンパス」を使い、北東北からあちこち寄り道しながら、帰阪の途に就こうという旅日記をお送りしています。



東京に到着した第2日目(2024年3月12日)。
夕方の出発まで「キュンパス」を使って、あてのない乗り鉄をしています。

「上野駅(東京都台東区)」に着いたのは1時を過ぎた頃。相変わらずのじゃじゃ降りです。


はじめて東京にひとり旅をした高校生の頃、東京駅とはまた異なる、どことなくレトロな雰囲気のあるこのターミナル駅の佇まいに、なぜかほっとしたことをよく覚えています。




いまから考えると、それが旅情を感じた瞬間だったのかも知れません。


大都会ながら緑濃い恩賜公園や博物館などが間近に広がるこの一帯は以来、東京にやって来た時には周辺を散策したくなります。



では、この上野駅についても、今回の旅で度々登場、全国47都道府県を鉄道駅から詳しく取り上げる「各駅停車全国歴史散歩13 東京都上巻(東京新聞社会部編・河出書房新社刊 昭和57年12月発行)」から拾ってみます。



東北への玄関口

上野


ふるさとのなまりなつかし

東北への玄関口、上野駅が埼玉・熊谷駅までの鉄道営業を開始したのは明治16(1883)年。あの鹿鳴館が建てられた年である。「上野駅史」では開業当時の様子を次のように伝えている。




「京浜間鉄道が開通して十余年、陸蒸気も交通文明の粋に達せんとする頃なりしか見物人はもちろん試乗者多く、一週間ほどは大盛況なり…」


客車は4両編成で、午前と午後各1回の2往復。

料金は下等が1哩1銭5厘、上等はその2倍、特等は3倍だった。運転士は危険防止のためドアにカギをかけ、駅長はピカピカに磨き上げた大きなキーを振り回していた、とある。当時の誇らしげな様子が目に見えるようである。




それから一世紀…上野はいまや東北への交通の基地として、一日100万人以上の乗降客を数えるマンモス駅に成長した。

開業の頃と比べると、まさに今昔の感がある。だが時代は移っても、ここにはいつも"故郷のにおい"が消えたことはない。


冬には屋根に雪を乗せた列車が、東北の冬を運んでくる。正月、盆には帰省客とおみやげを満載したふるさとへ向かう列車。



「ふるさとの なまりなつかし停車場の…」石川啄木の歌が、どこよりも似合うのが上野駅なのだ。(P92、後略)




出典の「各駅停車全国歴史散歩」が発行されたのは1982(昭和57)年12月のこと。出典①。


同年には、長年の悲願だった「東北・上越新幹線」が「大宮駅(さいたま市大宮区)」まで暫定開業していました。その3年後(1985年3月)にはさらに、この上野駅まで延伸開業します。



新幹線が地下ホームに乗り入れるようになったこの駅ですが、降りた山手線ホームからコンコースを進んだ先の行き止まり式のホームには、列車の姿はなく。実に閑散としています。

次回に続きます。
今日はこんなところです。

(出典①「国鉄監修 交通公社の時刻表」1985年3月号 日本交通公社発行)