さらば北陸特急街道「特急サンダーバード」で金沢へ!北陸鉄道乗り鉄日帰り旅〜その57 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

3月16日の「北陸新幹線 敦賀〜金沢間開業」と入れ替わり、長年親しまれた在来線特急が姿を消した、敦賀から先の「北陸本線」。




全国的にも稀少な「特急街道」を最後に味わいたいと、大阪発「特急サンダーバード」に乗り、昨年11月に石川・金沢周辺をさまざま日帰り乗り鉄した際の道中記をお送りしています。大阪にて。


金沢市内の「野町駅」から、初の乗り鉄を果たせた「北陸鉄道(北鉄)石川線」。


その終着、白山麓の玄関口である「鶴来駅(石川県白山市)」から続く廃線跡に、複数の路線が集う、かつては県内でも有数の一大交通拠点だったことを知ることが出来た探索でした。



「鶴来駅」に戻って来ました。

いまは、金沢・野町からの列車が折り返すのみの姿ですが、そのような歴史が確かにあったことを知れたのは、実に大きな収穫です。


机上だけでなく、実際に乗り鉄をして現地を訪れることの意義を、あらためて感じられた鶴来でした。エラそうなこというのですが(汗)




さて、ここからは金沢市内に折り返すことにしています。気がつけば、そろそろいい時間に差し掛かっていました。次は、14:40発。



発車の5分前からはじまった改札を抜けますと、発着待ちをしていたのは、行きに到着したものとは異なる車両。


コーポレートカラーのオレンジは同じではあるものの、正面は開放的な二枚窓。さらに、全体的に丸みを帯びた車体からは、優しい印象を受けるもの。「7700系」という車両でした。

この車両もやはり、北鉄オリジナルではなく「京王電鉄3000系」という「井の頭線」で長年活躍していた看板車両なのでした。



経緯は「7000系」と同じく、新型車両の増備で余剰になったタイミングと、北鉄で旧型車両を置き換えるタイミングが合致したことから、首都圏から金沢の地にやって来たのでした。2006(平成18)年11月だった、とのこと。出典①。



しかしながら、行きしなに乗った「7000系」という、平成はじめに首都圏の「東急電鉄」からやって来たこの車両と、雰囲気がどこかしらよく似ています。野町、鶴来にて。



車体を観察していますと、車両の腰下に設けられている、板状の「コルゲート」と呼ばれる補強板が目に留まります。

これがついているのがまったく同じ仕様です。


発車まで時間がありましたので、車内の様子も確かめてみます。



運転席の壁面に、製造銘板を発見。
「東急車輛製造 昭和42年」ということはわかったのですが、その下にある英文のプレート。

こちらの記事でも触れたのですが、行きしなに乗った「7000系」は、もともとは「東急7000系」という日本初のオールステンレスカーだった、という話し。

日本にはその技術が十分ではなかったために、アメリカ・バッド社という会社から東急車輛がそのライセンスを取得し、この車両を製造した経緯を記したものなのでした。


この「7700系」という車両も、同時期に東急車輛で、同技術を用いて製造された、オールステンレスカーの仲間だったのでした。野町にて。



そういえば、種車となったこの「京王3000系」は、午前中に乗り鉄した「北鉄浅野川線」でも活躍していた車両でした。
2017(平成29)年6月、内灘・割出にて。


北鉄金沢駅の地下化(2001年3月)を契機に、「石川線」より早い1996〜1998年にかけて導入されたものでしたが、昨年に全車両が引退。

「東京メトロ日比谷線」で活躍していた「03系」という車両に置き換えられました(右)。
内灘にて。


かつて所属していた会社は東急、京王と異なるものの、特殊な出自を同じくする車両。
第二の人生(車生?)を送るにあたり、奇しくも同じ路線を走る仲間になった訳で、これは実に奇遇なことなのだな、と感じます。

次回に続きます。
今日はこんなところです。

(出典①「カラーブックス日本の私鉄11 京王帝都」合葉博治・池田光雅共著 保育社刊 昭和56年11月発行)