3月16日の「北陸新幹線 敦賀〜金沢間開業」と入れ替わり、長年親しまれた在来線特急が姿を消した、敦賀から先の「北陸本線」。

金沢市内の「野町駅」から、初の乗り鉄を果たせた「北陸鉄道(北鉄)石川線」。
その終着、白山麓の玄関口である「鶴来駅(石川県白山市)」から続く廃線跡に、複数の路線が集う、かつては県内でも有数の一大交通拠点だったことを知ることが出来た探索でした。

「鶴来駅」に戻って来ました。
いまは、金沢・野町からの列車が折り返すのみの姿ですが、そのような歴史が確かにあったことを知れたのは、実に大きな収穫です。
机上だけでなく、実際に乗り鉄をして現地を訪れることの意義を、あらためて感じられた鶴来でした。エラそうなこというのですが(汗)


さて、ここからは金沢市内に折り返すことにしています。気がつけば、そろそろいい時間に差し掛かっていました。次は、14:40発。


発車の5分前からはじまった改札を抜けますと、発着待ちをしていたのは、行きに到着したものとは異なる車両。

コーポレートカラーのオレンジは同じではあるものの、正面は開放的な二枚窓。さらに、全体的に丸みを帯びた車体からは、優しい印象を受けるもの。「7700系」という車両でした。
この車両もやはり、北鉄オリジナルではなく「京王電鉄3000系」という「井の頭線」で長年活躍していた看板車両なのでした。
経緯は「7000系」と同じく、新型車両の増備で余剰になったタイミングと、北鉄で旧型車両を置き換えるタイミングが合致したことから、首都圏から金沢の地にやって来たのでした。2006(平成18)年11月だった、とのこと。出典①。

これがついているのがまったく同じ仕様です。

発車まで時間がありましたので、車内の様子も確かめてみます。


運転席の壁面に、製造銘板を発見。
「東急車輛製造 昭和42年」ということはわかったのですが、その下にある英文のプレート。
日本にはその技術が十分ではなかったために、アメリカ・バッド社という会社から東急車輛がそのライセンスを取得し、この車両を製造した経緯を記したものなのでした。
この「7700系」という車両も、同時期に東急車輛で、同技術を用いて製造された、オールステンレスカーの仲間だったのでした。野町にて。
2017(平成29)年6月、内灘・割出にて。

北鉄金沢駅の地下化(2001年3月)を契機に、「石川線」より早い1996〜1998年にかけて導入されたものでしたが、昨年に全車両が引退。
内灘にて。

第二の人生(車生?)を送るにあたり、奇しくも同じ路線を走る仲間になった訳で、これは実に奇遇なことなのだな、と感じます。
次回に続きます。
今日はこんなところです。
(出典①「カラーブックス日本の私鉄11 京王帝都」合葉博治・池田光雅共著 保育社刊 昭和56年11月発行)