みなさんこんにちは。前回からの続きです。

3月16日の「北陸新幹線 敦賀〜金沢間開業」と入れ替わり、長年親しまれた在来線特急が姿を消した、敦賀から先の「北陸本線」。


全国的にも稀少な「特急街道」を最後に味わいたいと、大阪発「特急サンダーバード」に乗り、昨年11月に石川・金沢周辺をさまざま日帰り乗り鉄した際の道中記をお送りしています。



金沢市内の街外れ「野町駅(のまちえき)」から「北陸鉄道(北鉄)石川線」に乗り鉄しているところです。
ようやく、旅気分に浸ってまいりました。


さて、野町から30分ほど。

列車の左右には白山麓の山々が近づいて来たことが地図でもわかるところまで来ると、まもなく終着駅の「鶴来駅(つるぎえき、石川県白山市)」です。グーグル地図より。



ひとつ手前の「日御子駅(ひのみこえき、同)」より。ここまでこまめに停車して来たのですがこの区間は、駅間の距離が割にあります。

したがって、列車は最高速度までスピードを上げて最後のスパート。味わいがあります。


そして「鶴来駅」到着。
時刻は、昼の1時半を回ったところでした。


再び地図より。
2面3線という終着駅らしい設えの駅で、野町側には車庫が併設されています。「石川線」車両のメンテナンスを一挙に担う基地です。

しかし、気になるのは終着駅にも関わらずまだ先に延びている線路。実は、これが割合に規模の大きいこの駅の歴史を物語っているというのですが。この後、探ってみたいと思います。


鶴来まで乗り通していたのは、この列車では5〜6人だったよう。がらんどうになったホームにて、列車観察が再び出来ます。



各駅停車だったとはいえど、金沢市内の野町から30分ばかり。わたしなどは便利だとは思うのですが、主たる移動手段はやはりクルマなんでしょうね。


構内踏切から。隣の2番線には、また別の列車が停車しています。時刻表から、夕方のラッシュに向けて留め置かれているもののよう。

まったく顔つきは異なりますが、同じ「7000系」という車両です。

ここまで乗車して来た、コルゲートと呼ばれるステンレスの波板の外観が特徴的な「北鉄7000系」がもともとは「東急電鉄7000系」という、日本初のオールステンレスカーだった、ということについて、述べたもの。


ステンレスゆえ車体が腐食することなく、車両器具類も近代化されていて、短い編成が組めるこの「7000系」は、その使い勝手の良さから北鉄のみならず、全国の数々の地方私鉄に譲渡されています。

反対側ホームに留め置かれていた、こちらの車両は顔が東急時代の「原型タイプ」。


先述の記事でも触れたのですが、大阪府内でもこの顔を見られ、乗ることが出来るのでした。

泉州・貝塚の「水間鉄道(みずまてつどう)」にも、同じく「東急7000系」は渡っていたのでした。水間観音(大阪府貝塚市)にて。


同じ形式でありながら、まるで異なる顔つき。

地方私鉄は短い編成が主なために、長い編成で組まれていた東急時代のままでは運転台のついている車両が不足するために、中間車両に運転台を後づけ改造したのが、この「のっぺり顔」。


やはり、水間でもこれと同じタイプのものがあったことを思い出しました。帯色、行先表示器など多少はデザインは異なりますが、同じ仕様。石才(いしざい、同)にて。


もとより首都圏の車両ですので、大阪人のわたしにとっては馴染みがないはずなのですが、水間しかり、地方を乗り鉄しているとこの車両に出会うことが幾度かありましたので、からっきし無関係でないような気分になります。



そういえば、ホームから見えるこの車両基地。別の「7000系」が停まっているのが見えますが…


「水間観音駅」に併設されている車両基地。
設えや配線がなんとなく似通っているような。車両もさることながら、さながらデジャヴのような感じさえした次第でした。余談でした。


改札を抜けます。古いモルタルづくりの駅舎だというのですが、なんとも味がありますね。

まずはここで少し、駅舎内を見学していくことにしたいと思います。


次回に続きます。

今日はこんなところです。