さらば北陸特急街道「特急サンダーバード」で金沢へ!北陸鉄道乗り鉄日帰り旅〜その58 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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みなさんこんにちは。前回からの続きです。

3月16日の「北陸新幹線 敦賀〜金沢間開業」と入れ替わり、長年親しまれた在来線特急が姿を消した、敦賀から先の「北陸本線」。


全国的にも稀少な「特急街道」を最後に味わいたいと、大阪発「特急サンダーバード」に乗り、昨年11月に石川・金沢周辺をさまざま日帰り乗り鉄した際の道中記をお送りしています。



こちらは「北陸鉄道(北鉄)鶴来駅(つるぎえき、石川県白山市)」。

県南部、白山麓の玄関口に当たるこの駅までの乗り鉄は、金沢市内に戻るというところまでやって来ました。


定刻の14時40分、金沢市内のターミナル「野町駅」に向けて発車。さまざまな発見のあった鶴来の街を後にします。来て良かったです。



さて、野町までは約30分。車内が空いていることをいいことに、さまざま細見してみることにします。

乗り込んだのは2両編成、最後尾の車両。
大きな二枚窓ゆえ、これは景色がいいですね。


前回記事でも触れましたが、いま乗車している車両は「京王電鉄井の頭線」からやって来た「7700系」という車両。



京王時代は「3000系」と呼ばれていました。

オールステンレス製で、腰下にはコルゲートという補強を兼ねた波板。丸みを帯びた車体が特徴という、井の頭線時代には長年にわたり親しまれたという、看板車両でした。出典①。


かぶりつきをしていると、運転台まわりを観察してしまうのはいつものこと。2ハンドルが特徴なのは、昭和30〜40年代に登場した車両ならではだなと、思っていたのですが…


ところで、帰宅してから、井の頭線時代のこの車両の運転台まわりを手元の書籍で確かめていたのですが、あれ、なんか違う。



向かって右側の、ブレーキ器具は同じ設え。
進行方向が逆になっているので運転士さんは居らず、操作のためのブレーキ弁は差し込まれていませんが。


左側のハンドル。主幹制御器(マスターコントローラー、マスコン)と呼ばれる、アクセルに相当する器具。

種車に取り付けられていたのは、東洋電機製造の、ひょろっとした精悍な形状のそれ。
京阪電車や、京成電鉄などでも見かけるもの。


ところが、これはまったく違う形状のマスコンです。しかし、どこかで見たことのある…



これでした。国鉄型車両、特に通勤・近郊型の電車に多用されていた、こちらのマスコン。

しかし、わざわざなぜこれに装換されているのかが気になります。以下、出典②。


…外観上における基本的な仕様は浅野川線8000系に準じているものの、石川線の主力形式である7000系(元東京急行電鉄7000系)と互換性を持たせるため、主要機器については大幅な設計変更が加えられている。夕方ラッシュに向けて留置中だった「7000系」、鶴来にて。



そういえば、北鉄のもうひとつの路線「浅野川線」でも、井の頭線からやって来た同じ姿形の車両「8000系」が、昨年まで活躍していました。割出にて。


石川線の架線電圧は600Vであることから、主要機器をそのまま移設搭載した浅野川線8000系とは異なり、電装品はそのほとんどが換装され、7000系と同様1M1T(注釈:2両編成のうち、モーターつき1両+なし1両)編成化された。

なるほど、京王時代の装備のままでは北鉄で運行出来ない、ということがわかります。
もちろん、それに当たっては改造が施されてはいるものの、特殊なのは「架線電圧の降圧」


京王電鉄はじめ、日本の電鉄の電圧方式は「直流1500V」が多勢を占めます。しかしながら、石川線は昇圧されないままの「直流600V」という、旧来の方式のまま据え置かれていました。

電圧昇圧には変電所や車両の改造など、多額の費用を要することから、乗客の少ない石川線ではそれが見送られたのだろうと推測されます。


その中で、旧型車両を置き換えるために導入した「7700系」や「東急7000系」には、昇圧ではなく「直流1500V→600V」という例を見ない、電圧を降圧する改造がなされたのでした。野町にて。続きます。

…制御器、主電動機、台車はいずれも西武鉄道および東日本旅客鉄道(JR東日本)からの廃車発生品で揃えられ、7000系との仕様の統一が図られた。


ということで、車体は京王時代そのままなのに対して、足元まわりや器具類は一切、他社のものを流用したのでした。

マスコンはJR東日本のものだったのですね。


元・東急と元・京王の出会いのみならず、西武鉄道やJR東日本とのコラボレーション、とは。なかなか興味深い経歴があったのでした。


次回に続きます。

今日はこんなところです。


(出典①「カラーブックス日本の私鉄11 京王帝都」合葉博治・池田光雅共著 保育社刊 昭和56年11月発行)

(出典②「フリー百科事典Wikipedia#マスター・コントローラー」)

(出典③「フリー百科事典Wikipedia#北陸鉄道8000系電車」)