みなさんこんにちは。前回からの続きです。

明日に迫った「北陸新幹線 敦賀〜金沢間開業」と入れ替わり、長年親しまれた在来線特急が姿を消す、敦賀から先の「北陸本線」。




全国的にも稀少な「特急街道」を最後に味わいたいと、大阪から「特急サンダーバード」に乗り、昨年11月に石川・金沢周辺をさまざま日帰り乗り鉄した際の道中記を、再開いたします。金沢にて。



前回までの記事はこちら↑



ここは「金沢駅」、大阪駅から始発の「サンダーバード1号」で到着。うろうろしているうちに時刻は、朝の10時を過ぎていました。




さて、今回の日帰り旅は「サンダーバード」に乗るということと、当地の私鉄「北陸鉄道」に乗り鉄しようという目的でした。

その「北鉄金沢駅」は、JRの駅に隣接した地下にありました。北陸地方唯一の地下駅です。


「北陸鉄道(北鉄)」は、金沢を起点に「浅野川線(あさのがわせん)」「石川線(いしかわせん)」2線を有する鉄道。

ただし、この両線はつながっておらず、それぞれ独自のターミナル駅を持っていることが特徴です。グーグル地図より。


まず、いまから乗り鉄しようというのはそのうち、JRの金沢駅から北上する「浅野川線」。
金沢郊外の「内灘駅(石川県河北郡内灘町)」までを結んでいます。

全長は6.8kmという短いものですが、最初の区間が開業したのは1925(大正14)年5月。歴史ある路線です。



沿線はベッドタウンとして宅地開発が進んでいる地域だとのこと。見事なパターンダイヤには
乗客の多さが窺えます。


運賃表には、電車のみならずバス連絡もなされていることに気づきます。


内灘は、能登半島西側の付け根に当たるところ。鉄道はそこまでですが、さらに北上するにはバスに乗り換えることになります。結節点になっているのが、これから向かう内灘駅です。


改札を入ります。
見た通り地下駅ですが、ホームは1面2線。


日中は30分間隔ということなので、北側の2番線は使われておらず。列車が留置中。しかし、なにやらラッピングがなされているよう。



訪問した時、県内各地でさまざまなイベントが行われていた「いしかわ百万石文化祭2023」。その一環で行われていた、デザインコンテストでグランプリを受賞した作品だとのこと。


このようなイベントがあるのはいいですね。夢があります。戦前、この浅野川線沿線にあった「粟ケ崎遊園(あわがさきゆうえん)」に向かう観光客をイメージしたもの、と解説。



ところで、この遊園についてさらに探ってみましたら、なかなか興味深いことがわかりました。以下「フリー百科事典Wikipedia#粟崎遊園」より。

1925年(大正14年)、浅野川電気鉄道(浅野川線の前身)社長で、材木商だった平澤嘉太郎(1864-1932)によって、宝塚と同様の複合エンターテインメント施設を目指して、粟崎海水浴場(現在の内灘駅付近)の隣に開設された。


その背景には乗客誘致目的もあり、現在の阪急電鉄の施策を参考としていた。

約6万坪の広い園内には遊園地や大劇場(1,000人収容)、大浴場、動物園、旅館、食堂、野球場、スキー場まであった。


遊園の総工費は約35万円、現在の価値では40億円以上にもなるレジャー施設だったそうです。

戦後ほどなくして閉鎖されてしまったそうですが、Wikiの解説にもあったように、創業者の平澤が目指した、当時開業間もなかった阪急電車の施策を目指したことが注目されます。



郊外にレジャー施設(や住宅地)をつくり、そこにアクセスする鉄道を敷くことで、あらたな需要を喚起し、利用して貰う。阪急創業者の小林一三翁(1873-1957)が行ったのと同じビジネスモデルは、斬新なことだったようです。山田にて。

ゆえに「北陸の阪急」と称されるほどだったそうですが、これははじめて知りました。



電車は2両編成。先頭車両の床下には、さすがここは雪国。尖ったスノープラウが。



これは、列車無線用のアンテナでしょうか。正面顔に突出しているのは珍しい。


さて、日中使用されているのは、ラッピング列車が留め置かれている隣の1番線。


オレンジ帯が鮮やかな印象ですが、この車両、首都圏のある鉄道路線で、長年にわたり活躍したものなのでした。

次回に続きます。

今日はこんなところです。