来月16日の「北陸新幹線 敦賀〜金沢間開業」と入れ替わり、長年親しまれた在来線特急が姿を消す、敦賀から先の「北陸本線」。
全国的にも稀少な「特急街道」を最後に味わいたいと、大阪発「特急サンダーバード」に乗り、昨年11月に石川・金沢周辺をさまざま日帰り乗り鉄した際の道中記をお送りしています。大阪にて。

ただし、しばらく進むと実に情緒のある、穏やかな水辺の風景が車窓には増えて来ます。
北西に長いびわ湖ですが、ベッドタウンで新快速も停車する堅田(大津市)あたりで、南北が最も狭まります。グーグル地図より。
「琵琶湖大橋」が架かっているところですが、そのあたりから湖西線は湖岸近くを走ります。
ちょうど、列車はその付近に差し掛かりました。しばし、動画でもどうぞ。
ではここで、旅する際には毎回登場、全国47都道府県の各地を歴史的な視点から深く掘り下げるシリーズもの「各駅停車全国歴史散歩26 滋賀県(京都新聞滋賀本社編 河出書房新社刊 昭和56年8月発行)」から拾ってみます。
歴史は大津京で始まる
まず、近江を「おうみ」と呼ぶ理由から。
どの文献、古書を読んでも、大体「おうみ」とは「淡海(あふみ)」、つまり湖のこと。
淡海がなまって、また、都(京都)に近い淡海なので「近淡海(ちかつ・あふみ)」であり、「近」の文字は残ったが、発音の上で「ちかつ」が消えてしまったのだそうだ。
都から遠かった浜名湖が「遠淡海(とおと・あふみ)」で、その国が「遠江(とおとうみ)」になったのと同じだ。
この淡海が「琵琶湖」になったのは、近世に入ってから。形が和楽器(琵琶)に似ているからだ。琵琶湖は、琵琶湖大橋(大津市〜守山市)あたりで南湖と北湖に分けられているが、南湖が琵琶の頭と首、北湖が胴にあたっている。名付け親もわかっていないが、言い得て妙だ。(P9-10)
車窓からでも、ものすごく広いように感じる琵琶湖ですが、所在する滋賀県全体の面積からすると6分の1ほどなのだそうです。
しかし、これほどの存在感があるゆえんというのは、畿内、なかんずく都に近いこともあり、昔からなんら変わらなかったのですね。
和同開珎出土の沖島
長命寺山(湖東、近江八幡市)のすぐ足元に、大きい島が見える。市内の湖岸、宮ヶ浜から沖合約2キロに浮かぶ沖島(おきのしま)だ。
戸籍面では「滋賀県近江八幡市沖島町」。琵琶湖最大の島、ということだ。
周囲は12キロ。海抜220メートルの蓬莱山を最高点に、南の湖畔べりを中心に150戸ほどの民家がある。琵琶湖漁業の最右翼であり、このため、近江八幡市自体が県内でも有数の漁業の街になっている。
この島の歴史は古い。奈良時代中期の和同開珎が出土しており、その頃初めて人が上陸したとみられている。島にある式内社の奥津島神社は近江国守護・藤原不比等が建てたと伝えられているが、実際に人が定住するようになったのはずっと後年のこと。
南北朝時代には水軍の基地になったということだが、はっきりしない。(P51)
「湖西線」は全線高架なので、景色を楽しむのにはもって来いです。さらに北へ進むと、水泳場と思しき湖岸が点在するようになります。
このあたりまで来ると、水もきれいです。
やはり、車窓からびわ湖を眺めるのには朝に限るなあと、つとに感じる瞬間なのでした。実に贅沢な車窓です。
次回に続きます。
今日はこんなところです。