みなさんこんにちは。前回からの続きです。1970(昭和45)年開催の「大阪万博」で活躍した、万博を巡る千里の鉄道を中心にした交通機関についての企画展「振り返ろう懐かしの千里万博の時代」訪問記をお送りしています。


今回の企画展展示の主題、千里丘陵で開催された先の「大阪万博」会場に直結していた「北大阪急行電鉄(北急)〜地下鉄(現在のOsakaMetro)御堂筋線」ルートについて、会場の南千里をいったん離れて項を進めています。



会期中に約2000万人以上を運んだという、このメインルート。企画展での写真展示とともに、新大阪駅から実際にこの万博会場へのルートを辿り、引き続きあれこれと掘り下げてみようと思います。


大阪市内中心部の各ターミナルから、ピーク時には2〜3分おきに直通列車がやって来たという「万国博中央口駅(大阪府吹田市)」。

駅名の通り、万博会場の中心部に位置した正面玄関でした。出典①。


ホームから改札階に上がって来ました。なかなか、垢抜けたデザインのコンコースですね。
ただ、自動改札機ではありません。

万博開催の3年前(昭和42年)に奇しくも、会場近くの「阪急北千里駅(同)」で我が国では試用がはじまったばかりでした。ですので「改札=有人」が当たり前の時代。ハサミをパチパチ言わせてクルクル回す駅員さんの姿は、わたしでも懐かしいもの。


改札を抜けると、ずらり並ぶ自動券売機。

自動券売機自体も珍しかった時代にその数、実に50台用意されていたそうです。期間限定とは言えども、おそらくは当時、日本随一の規模だったに違いありません。



拡大してみますと、新大阪ゆき(100円)梅田ゆき(110円)などと、運賃によって自販機は仕分けられています。この駅からの利用が特に多かった二駅ですから、これは頷けます。


この「万国博中央口駅」に設置されたそれは「多能式自動券売機」と呼ばれるものです。

乗客が硬貨を投入し、ボタンを押すごとに運賃や、大人・小児といった異なる種類の券片が発行されるもの。というといまでは当たり前ですが、異なる種類の券片を発券出来るのは画期的なことなのでした。ここまで出典②。


広々とした三角形の屋根が特徴の、この改札からは「万博会場中央ゲート」が一体化していました。通路は二層構造になっていて、駅に直結するものは下段。上段はゲート内で会場を南北に往来出来るルートになっていたようです。


しかし、どちらもものすごい人出!


「駅直結のゲート」というと大変便利なものだったのには違いないのでしょうが、会場ゲートで入場制限などすることになったりした場合はどうしていたのでしょうか。

これを見る限り、朝の開場前などはごった返したのでしょうね。USJやディズニーランドですら上回るもの。


「中央ゲート」を無事に入った観客の人々がまず通るのは、あの「太陽の塔」が鎮座している「お祭り広場」でした。


身の回りで、万博を体験した人々が口々にする「とにかくすごかった」「想像したこと見たことないものばかりだった」「どこも人ばかりだった」などという感想を聞くに、なんや曖昧なことばかりなんやなあ、と感じていたのですが。これは啞然とします。漸く納得しました(汗)


ただ、ここまでの人の蝟集ぶりは驚くばかりです。ここまで出典①。




しかし、同じような光景を確か見たことあるなあと、記事を上げていて思い出しました。

19年前の2005(平成17)年、愛知県東部丘陵で開催された「愛・地球博(愛知万博)」。その最終日のこと。


https://ameblo.jp/kyle-of-lochalsh/entry-12477768724.html 


奇しくも、先の「大阪万博」以来、35年振りだった大規模な万博。万博は、さまざまな人が集うイベントなのだなとあらためて感じます。


ただもう、20年ほど前のことになるのですね。高速バスなどで、足繁く通ったのが懐かしい。



さて、会期中のみ存在していたその「万国博中央口駅」に対して、千里中央からほぼ同じルートを辿って来た「大阪モノレール」。


引き続いて、この駅の様子を探ってみることにいたします。幾度も下車したことのある駅ですが、毎回わくわくするところです。

次回に続きます。
今日はこんなところです。

(出典①「日本万国博覧会公式記録写真集」日本万国博覧会協会発行 昭和46年10月)
(出典②「鉄道伝説 大阪万博波動輸送〜2200万人の輸送を成功させよ〜」BSフジ 2014年2月2日放送)