みなさんこんにちは。前回からの続きです。1970(昭和45)年開催の「大阪万博」で活躍した、万博を巡る千里の鉄道を中心にした交通機関についての企画展「振り返ろう懐かしの千里万博の時代」訪問記をお送りしています。


今回の企画展展示の主題、千里丘陵で開催された先の「大阪万博」会場に直結していた「北大阪急行電鉄(北急)〜地下鉄(現在のOsakaMetro)御堂筋線」ルートについて、あれこれと項を進めています。




会期中に約2000万人以上を運んだという、このメインルート。企画展での写真展示とともに、新大阪駅から実際にこの万博会場へのルートを辿り、引き続きあれこれと掘り下げてみようと思います。出典①。




さてようやく「万国博中央口駅(大阪府吹田市)」に到着。前回記事でも触れましたが、駅名の通り、万博会場中央ゲートに直結していたという、まさに「万博の正面玄関」でした。


三角形の巨大な屋根が特徴的なこの駅。

乗り入れている「北急会場線」や「中国自動車道(中国道)」「府道大阪中央環状線(中環)」が掘割様であったのに対して、台地上にあった会場の南北をつなぐ、連絡通路の役割も果たしていました。出典②。


ここまで幾度となく触れてまいりましたが、観客を輸送するために、千里中央からは建設中の「中国道上り線」を借用して線路や駅舎が建設されたという、異例のことでした。出典③。



「江坂(同)〜万国博中央口間」の開業は万博開幕の約3週間前、1970(昭和45)年2月24日のこと。

同時に「大阪市営地下鉄(現在のOsakaMetro)御堂筋線」も「新大阪(大阪市淀川区)〜江坂間」を開業させたことから、大阪市内から千里万博会場までのメインルートが一気に開業した瞬間でした。


ところで、南千里の企画展会場では実に貴重な資料が展示されていました。



「南北線および会場線開通について」という、北急が開業時にまとめたこの資料でした。



はじめて見るものです。「南北線」は現在、わたしたちが乗ることが出来る「江坂〜千里中央間」を指します。ちょっと拝見してみましょう。


ショーケース内で開かれていたページは、まさにこの「万国博中央口駅」にまつわる詳細な諸元。


地上に仮設だった「千里中央駅(大阪府豊中市)」から、間借りした中国道を約3.5km走って来た列車が、入構しようというところ。

駅手前で、両渡りポイントを通過して…


プラットフォームに差し掛かります。

南側には「中国縦貫道(中国道)」、高規格の自動車道でありながら、対面通行になっているのは片方の用地をこの「北急会場線」が借用していたため。


ホームの千里中央方、このあたりです。後方に見える陸橋は、いまも現存。


プラットフォームは、中央部分が膨らんだ形状だとわかります。
上新田(かみしんでん、千里中央駅の仮称)起点からは、この駅は3㌔621㍍400㌢地点。


先日のこの記事で取り上げた「千里中央駅」南側の地下線内で分岐するトンネル。ここが「上新田起点」です。



ホームの幅は、最大15mほど。この種の駅ではまずまずの広さだと感じます。


1両あたり、20mの8両編成が2本停車出来るという構造。これで、殺到する観客をさばいていたといいますが、立派な設えのこの駅も、半年の会期を終えると、すべて解体されてしまいました。半年だけのために敷かれた路線とは、返す返す驚きます。



ピーク時には、約2〜3分ごとに御堂筋線からの直通列車が次々と到着。満員の乗客がホームに残っているにも関わらず、次の列車が到着するというありさまだったそうです。会場に至るまでに、すでにこれはすごい。出典②。


乗客を降ろした列車は駅の先にある留置線へ引き上げ。ここでも両渡りポイントがあります。



駅南側にあった、会場内の遊園地「エキスポランド」からの遠景。これですね。出典①。


そして、東端に至ります。



留置線に並ぶ2列車の手前は北急車両、奥は市営地下鉄車両。しかし、2〜3分おきの発車といいますから、運転士さんと車掌さんの入れ替えも大変だったはず。


さらにこれを引きますと、東端の車止めはこのあたり。線路南側ではエキスポランド名物「ダイダラザウルス」の真横、北側の本会場でも東の端になるところ。会場の広さを感じます。


ところで、その留置線の車止めの真後ろに立つこの美しい塔が気になります。出典③。


「虹の塔」というテーマ館でした。なるほど、銅鐸を模したものだとは。しかしきれいです。



ちなみに館内では、日本の歴史にまつわる映像ショーが人気を博していたそうです。

映像展示は、この万博では他にも幾つかあったようですが、大ビジョンでの美しいカラー映像の上映は、最先端技術だった半世紀以上前のことでした。



返す返すですが、趣向を凝らしたさまざまな色や形の、立ち並ぶ数々のパビリオンや展示館。


この時に生まれておればなあ…と、つくづく思います。70年代も終わりに生まれた身としては仕方ないこと、なんですが(汗)


さらに、次回に続きます。
今日はこんなところです。出典①。

(出典①「日本万国博覧会公式記録写真集」日本万国博覧会協会発行 昭和46年10月)
(出典②「鉄道伝説 大阪万博波動輸送〜2200万人の輸送を成功させよ〜」BSフジ 2014年2月2日放送)
(出典③「日本万国博覧会記念写真集」日本万国博覧会協会監修・万国博グラフ社発行 昭和45年10月)