企画展「振り返ろう懐かしの千里万博の時代」千里ニュータウンを訪れる〜その26 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。1970(昭和45)年開催の「大阪万博」で活躍した、万博を巡る千里の鉄道を中心にした交通機関についての企画展「振り返ろう懐かしの千里万博の時代」訪問記をお送りしています。


今回の企画展展示の主題、千里丘陵で開催された先の「大阪万博」会場に直結していた「北大阪急行電鉄(北急)〜地下鉄(現在のOsakaMetro)御堂筋線」ルートについて、会場の南千里をいったん離れて項を進めています。



会期中に約2000万人以上を運んだという、このメインルート。企画展での写真展示とともに、新大阪駅から実際にこの万博会場へのルートを辿り、引き続きあれこれと掘り下げてみようと思います。新大阪にて。


ただいま「千里中央駅(大阪府豊中市)」。
この駅の周辺を、あれこれ探索しています。

地下の北急の駅の真上には、一体的に建設された商業施設が続いています。
こちらは、核テナントの「せんちゅうパル」。


その東側には、こちらも別の大型商業施設が。同じく駅に直結している「セルシー」という、千里中央を代表する名物商業施設です。



しかし昨年5月、全面閉館してしまいました。

中河内に住んでいますので、あまり土地勘のない北摂、千里ですが、ここの閉館はニュースで大々的に報じられていましたので、知っていた次第です。あの有名なセルシーが、でした。


ところで頃合い良くというのでしょうか、毎朝読む朝日新聞の地域面で、千里ニュータウンやこの「セルシー」についての連載が先月、展開されていました。ここからはそれを引用することにします。

朝日大阪朝刊 2023(令和5)年12月13日付け25面(大阪東部・河内地域面)より。




地上6階、地下1階と言いますから、本格的な規模の商業施設です。専門店がたくさん入っていたなというのは、わたしもよく覚えています。


核テナントにダイエーが入っていたのも思い出しました。規模の大きい店舗でした。



多数入居していた商店主が協力し、季節ごとに行われたイベントは大盛況。

こことは言わず、わたしが小さい頃などはショッピングセンターでは、そのような催事があちこちで行われていました。昭和というのは、いい時代だったですね。


その中でも、中央に切り開かれた階段状の広場で盛んに行われた音楽イベントで、セルシーの名は有名でした。


大阪では「セルシー=新人歌手の登竜門」とも称されるほどだったそうですが、人気絶頂だったAKB48のイベントさえも行われました。2011年2月のこと。これは覚えています。


どなたかは忘れましたが、ここで行われた新人歌手のミニコンサートを観に行きたいなと中学生の頃に思ったこともありました。

とかくこれだけの集客力がある場所ですから、地域の盛り上がりはさぞかしすごかったのでしょうね。きちんとした箱があり、地盤があり…いまは、そのようなことなかなか出来ません。



その前日付けで連載に登場されていたのが、ヤイコこと、人気シンガーソングライターの矢井田瞳さん。余談ですが、わたしと同学年の方だということは知っていました。

このセルシー南側の「千里ニュータウン」近くで生まれ育った、豊中出身の方です。


セルシー、そして生まれ育ったニュータウンや千里中央には、数々の思い出があることを語られていました。読んでいますと、いいエピソードばかりですね。


個人的に気になったのは、核にあるセルシーの閉館、千里中央に対しての心境でしょうか。


小さい頃からの馴染みの場所がなくなってしまうという一抹の寂しさ。ただ、それはニュータウンであってもそうでなくとも、生まれ育った地域、故郷を思う気持ちはどこでも同じこと。


いちから街を、人とのつながりを作るというニュータウンの街開きから60年以上を経たいま、さまざまな課題がある中で、現に住んで居られる方々にとっては、ある意味で次の場面に入りつつあるのだろうか、という感を受けました。


実に、さまざま考えさせられる千里中央の訪問でした。


次回に続きます。

今日はこんなところです。