みなさんこんにちは。今日の話題です。
1970(昭和45)年開催の「大阪万博」で活躍した、万博を巡る千里の鉄道を中心にした交通機関についての企画展「振り返ろう懐かしの千里万博の時代」訪問記を、昨年末からお送りしていました。その続きを再開したいと思います。
さて、今回の企画展展示の主題、千里丘陵で開催された先の「大阪万博」会場に直結していた鉄道アクセスに関し、まずは「北大阪急行電鉄(北急)〜地下鉄(現在のOsakaMetro)御堂筋線ルート」について、会場の南千里をいったん離れて項を進めています。出典①。
会期中に約2000万人以上を運んだという、この「北急〜地下鉄ルート」。
企画展での写真展示とともに、新大阪駅から実際に万博会場へのルートを辿りながら、引き続きあれこれと掘り下げてみようと思います。
さて、新大阪から頻発する電車で15分ほど。
北急の終着駅「千里中央駅(大阪府豊中市)」に到着したところ、というので昨年末にいったん中断をしていました(汗)
駅構内をあれこれと探索しているのですが、現在ではわずか1路線、4駅しかない北急。
「江坂駅(同吹田市)」から先に相互乗り入れしている「OsakaMetro御堂筋線」から延びるネットワークが、やはり目に留まります。
そんな小規模な北急ですが、乗客にとっては実に大きなメリットがある鉄道としても知られています。それが「初乗り運賃の安さ」。なんと「100円(こども50円)」!
いわゆる「減価償却」です。北急も万博輸送のため多額の費用をかけて建設がなされました。
ところが、普通ならば数十年かかって高額な建設費用を回収するものが、開業直後からわすか半年で2000〜3000万人もの大量の乗客が連日押し寄せる、他に例を見ないような条件だったために、減価償却はおろか、それをはるかに上回る巨額な黒字を生み出しました。
さらに、万博閉幕後も周辺の「千里ニュータウン」での開発が各地で本格化。
乗客も右肩上がりで推移して行ったのでした。
その恩恵というのが、路線開業と万博輸送から半世紀以上経過した令和の現在でも、このように続いているというのです。
おそらくは、今後あり得ないことでしょうね。
地上に出て来ました。二層構造の地下駅の真上には、さまざまな商業施設が展開していることがわかります。駅前の案内より。
それが、こちらの「千里阪急百貨店」。
実に独特な外観をしていますが、開館は先の万博開幕の直前の1970(昭和45)年3月11日。
と言われると、近未来的な内外装の多い、千里万博パビリオンのそれに近似しているかのようにも感じられます。夢があります。
ではここからは毎度おなじみ「フリー百科事典Wikipedia#千里阪急」より。
大丸、髙島屋、阪神百貨店などが出店を検討する中、大阪府などの選抜によって阪急百貨店の出店が決定し、1970年の大阪万博開幕直前、1970年3月に当店が開業した。プレキャストコンクリート(PCa)三角形外装材で構成された外観は地域のシンボルとして親しまれている。
ところで、その千里阪急の南側にも、万博に時を同じくして作られた商業施設がありました。
千里阪急とともにその中核を為していたのが、千里中央の名物商業施設だった「セルシー」でした。
次回に続きます。
今日はこんなところです。
(出典① 阪急うめだ本店「鉄道模型フェスティバル2023」パネル展示より)