企画展「振り返ろう懐かしの千里万博の時代」千里ニュータウンを訪れる〜その16 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。




1970(昭和45)年開催の「大阪万博」で活躍した、万博を巡る千里の鉄道を中心にした交通機関についての企画展「振り返ろう懐かしの千里万博の時代」訪問記をお送りしています。


会場は、こちら「千里ニュータウン情報館(阪急南千里駅前)」です。




半世紀以上にわたるニュータウンの歴史について学ぶことが出来た前回でした。

係の方がここで声をかけてくださって、蒸気機関車の写真もたくさんありますからぜひご覧になってください、とのこと。ありがたや。



「吹田機関区の風景」と題したパネル展示。
そうでした、吹田は東洋一と称された大機関区があった街。1970年代のものだそうですが、日本における蒸気機関車の定期運用が終焉を迎えようとしている頃です。


とはいえ、最後まで多数の蒸気機関車が配置されていたそうです。これは「D51形」。
「デゴイチ」という愛称で知られる、我が国で最も有名な蒸気機関車です。

貨物用機関車として戦前から終戦まで、通算1100両以上製造された名車と言われています。



お、ボイラーの上の形が他と違います。煙突を含めた諸部品を、カバーで覆ったもの。
形状から「ナメクジ」と呼ばれるタイプです。

自称・鉄オタですが、蒸気機関車のことはあまり存じません。ただ、本当にかっこいいもの。電車などと違って「生き物」という感です。



他に見つけたのは「D52形」。先ほどのデゴイチより後年の戦中に登場したものですが、いわゆる戦時設計(戦争による物資の不足を見越した簡略設計)の機関車、やはり貨物用。

旅客輸送より、貨物輸送が優先されていた戦中の影響を強く受けたものだそうです。「D52」の写真はあまり見たことがありません。



ところで「蒸気機関車」と言っても、40代半ばのわたしにとってはイメージがなかなか湧きませんので、大変私事ながら、思い出すエピソードをひとつ。


なにかの話しに「蒸気機関車」が出て来ると、わたしのおかん(齢70代半ば)はえらく雄弁になります。例外なく父親(わたしの母方の祖父に当たる)の里に帰郷する際のことについてです。

戦後間もなくして枚方(大阪府枚方市)で生まれ、東大阪に嫁ぐまで枚方で育った母の父は、兵庫県の北但地域の出身。代々、枚方に住む一家に生まれた祖母へは、入り婿でした。


祖父の故郷は「兵庫県美方郡村岡町(現在の同香美町)」。話しによると、毎年夏休み中に母親(わたしの祖母)や兄妹ら3人とともに家族で帰郷するのが恒例になっていたようです。


以下、手元の「日本国有鉄道監修 日本交通公社時刻表 昭和34年7月号」をひもといてみます。彼女が小学生高学年の頃です。


母親がいう村岡への帰郷ルートは、枚方からまずバスで淀川対岸の高槻(大阪府高槻市)に出る。遠出する時(≒国鉄に乗る時)は、大荷物になるので最寄りの京阪電車で京橋なりに出るより、混んでいなくて便利だったとのこと。


高槻から大阪駅に出て、ここで蒸気機関車牽引の「福知山線」経由の「山陰本線」直通の列車に乗り換え。


現在は「篠山口駅(兵庫県丹波篠山市)」まで複線電化され、完全に通勤・通学路線と化している「福知山線」ですが、昭和50年代半ばまでは非電化で列車本数も信じられないほど少ない、長距離列車主体のローカル線でした。


本数が少なく、但馬や山陰の海岸に向かうために夏の行楽シーズンには大混雑するゆえ、列車が入線するや否や、ホームから開いている窓に荷物を先に投げ入れたり、子どもを担いで車内に入れ座席を確保する光景もあったそうです。

いまなら、あかんのでしょうが…


「福知山駅(京都府福知山市)から」「山陰本線」に列車が入ると、トンネルが連続する区間に差し掛かります。乗客はそれを良く理解していて、トンネルが近づくと窓を閉めろ!とあちこちから叫ぶ声。

煤煙が入って来るから、どこか一箇所でも開け放たれていたならば、顔じゅう煤まみれになった。ただ普段、枚方(京阪沿線)に住んでいるとそんな体験をすることがなかったので、毎年それが楽しくて仕方なかった。こういう気質はちびっ子次女に隔世遺伝しています(汗)


大阪駅から2時間以上を経て「八鹿駅(ようかえき、兵庫県養父市八鹿町。当時は養父郡八鹿町)」に到着。出典①。


そこからさらに「全但バス」に乗り換え。
ボンネットバスの窓を全開にしていると、空気がとても気持ち良かった。煙が出ないバスなので、気兼ねなく窓を開けられた。

概ね、そのような話しです。母親はよほど村岡に行くのが楽しかったようで、いとこの〇〇ちゃんと野山で遊んだ、おじさんおばさんがいつも優しかった、といまだに詳細な内容です。


くだんの「福知山線」のページを眺めていますと「□に気」というマークの列車があります。

気動車、つまりディーゼルカーを使用する列車のことですが、逆にいうとこれ以外はすべて蒸気機関車が牽引している列車ということ。その多さたるや、いまからでは信じられませんが…


しかし、田舎があるのは思い出がたくさん出来ていいことやなあと、田舎のないわたしにとってはおっさんになったいまでもうらやましくなりますし、蒸気機関車の写真を見かけるといつもそれを思い出します。甚だ、余談でした。


さて、今回の企画展でピックアップされていたのは、冒頭にありますように、先の大阪万博にまつわる鉄道を中心にした交通についてでした。引き続いて拝見して行きたいと思います。


次回に続きます。

今日はこんなところです。


(出典①「フリー百科事典Wikipedia#八鹿駅」)