1970(昭和45)年開催の「大阪万博」で活躍した、万博を巡る千里の鉄道を中心にした交通機関についての企画展「振り返ろう懐かしの千里万博の時代」訪問記をお送りしています。
数々の貴重なショットを記録した写真パネルが並ぶこの会場は「千里ニュータウン情報館(阪急南千里駅前)」です。
1970(昭和45)年、大阪・千里丘陵でアジア初の万国博覧会として開催された「日本万国博覧会(大阪万博、EXPO'70)」。
歴史に残るこのイベントに立ち会われた、当時吹田にお住まいだった方々が切り取られた、地元視点からの記録だとのこと。
先の「大阪万博」は、半世紀以上経過した令和の現在でも、それこそ記録映画やイベント、テレビ番組などで度々取り上げられます。世界76カ国、国内32団体が出展を果たしました。
それだけ各方面から注目されたイベントだということがわかりますし、わたしも公式写真集や記録などは拝見したことがあるのですが。

それとはまた異なる視点からのものですよ!鉄道が中心ですが、と、前回の蒸気機関車から話しかけてくださった係の方が誇らしげに仰るのが印象に残りました。より楽しみです。



それでは、まず万国博会場にまつわるショットからいくつかみなさんと拝見していくことにいたします。
万博開幕式典の当日(昭和45年3月14日)。
広大な会場の真上を飛ぶ、ブルーインパルス。
いまでこそ珍しくないものですが、住民の多くの方々はとにかくびっくりしたそうです。いまから見ても鮮やかです。



万博会場は、今回本題の「千里ニュータウン」のすぐ東隣に設けられたもの。広さ約330haもの広大な敷地は、新規に造成したからゆえに確保出来たのでした。
その中に、色も形もさまざまなパビリオンや展示館、さらに遊園地「エキスポランド」までもが併設されました。


会場中央の「お祭り広場」には、万国博の象徴の表れとして「太陽の塔」が建設されました。現在でも言わずと知れたシンボルタワーです。


高さは約62m。日本を代表する芸術家・岡本太郎(1911-1996)の作で、未来の「黄金の顔」、現在の「太陽の顔」、過去の「黒い太陽」という、3つの表情を併せ持ったもの。内部もパビリオンになっており、最近になって再開放されているのは知られているところ。



他にも、アメリカ館ではアポロ宇宙船や月の石などが展示され、大変な人気を博します。ちなみに月の石は、これから35年後の「愛知万博(愛・地球博、2005年)」で粉砕されたものが展示されました(わたしも拝見しました)。

企業パビリオンでは、当時の最新技術を駆使した映像展示をするものが特に人気を集めたようです。
人気パビリオン群にはあちこちで行列が出来、「残酷博」とか、万国博のテーマ「人類の進歩と調和」を捩って「辛抱と長蛇」などと、嘆く観客が居たとか、居なかったとか。

観光バスがみっちりと留め置かれています。
バスにはあまり詳しくないのですが、こちらも色も形も実にさまざま。おそらくは全国各地からやって来たのでしょうね。

そして、観客輸送の大多数を捌いたのはやはり鉄道。先ほどの「太陽の塔」が鎮座する中央口のすぐそばに「北大阪急行電鉄(北急)万国博中央口駅」なる臨時駅が設けられました。
総入場者約6420万人のうち、実に3〜4割に当たる約2000〜2400万人を輸送したという「メインルート」でした。
次回に続きます。
今日はこんなところです。