企画展「振り返ろう懐かしの千里万博の時代」千里ニュータウンを訪れる〜その13 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

1970(昭和45)年開催の「大阪万博」で活躍した、万博を巡る千里の鉄道を中心にした交通機関についての企画展「振り返ろう懐かしの千里万博の時代」訪問記をお送りしています。



ここは、阪急千里線南千里駅(大阪府吹田市)。企画展が行われている会場の最寄りです。いよいよやって来ました。



会場は、駅に直結しているこちらの「千里ニュータウン情報館」。所在している「千里ニュータウン」の核を為す公共施設のひとつです。



さっそく、会場にお邪魔してみることにいたします。いや、どのような催事か。楽しみです。


展示物の撮影はご自由にということでしたのでみなさんとご一緒に楽しめます。


さて、気になる企画展を拝見する前に、入口横にはこのような航空写真の巨大パネルが。この「千里ニュータウン」の今昔を捉えたものでした。



右側のものは、1961(昭和36)年撮影。記載はブログ主による。一面、山肌ばかりです。



ニュータウンの建設が決定したのは1958(昭和33)年。開発工事がはじまったのが、3年後のこの年だったといいます。

雑木林や竹林、田畑がひたすらに広がっていたという千里丘陵。大都市圏の急激な人口増加や悪化していた住宅事情を改善すべく、大阪都心部に近い地理的な要素から、千里丘陵に大規模ニュータウンが建設されることになりました。


それから40年、2001(平成13)年の姿。
一面を覆っていた緑の多くは消え、びっちりと、それでいて整然と住宅群が立ち並ぶ、一大ニュータウンと変貌を遂げました。


2001年ですから、いまから20年以上前のこと。

それ以降、老朽化した集合住宅の建て替えが次々とはじめられ、再び様相は変わりつつあるといいます。



それでは、この「千里ニュータウン」については、毎度おなじみ「フリー百科事典Wikipedia#千里ニュータウン」より。出典①。



大阪市中心部から北へ約12kmの地点に位置している人口約96,000人の住宅都市である。豊中市・吹田市に跨る地域にあり、南北約5km、東西約4kmに収まる約1,160haの広さを誇る(参考:「京セラドーム大阪」総面積は約1.32ha)。



近隣住区の中心となる地区センター(千里中央・北千里・南千里)には、より大規模な都市施設が配置され、なかでも新千里東町にある千里中央駅周辺には千里ニュータウン全体の中心として、百貨店、ショッピングセンター、レジャーセンターのほか、地域ガス供給施設、企業の電算センターなどが集積している。出典同。



「千里中央駅」の駅名が登場しましたが、所在地は市域を越えた豊中市。この南千里駅からは北西に2、3km離れた駅です。



「OsakaMetro御堂筋線」に相互乗り入れしている「北大阪急行」と「大阪モノレール」が結節する、北摂地区の交通の要衝になっています。




駅前には大規模な商業施設があり、バス路線の拠点にもなっていて大変繁華な中心部、というイメージが強いのですが、人口の多いニュータウンとしての中心部に当たるのは、最初に開発がなされた南千里駅周辺になるのだとのこと。

これは知りませんでした。駅名に「中央」が付きますので、余計に。千里中央駅周辺にて。




「千里中央」については、また後日項にて。



さて、こちらにはニュータウンにまつわる年表もありました。これがなかなか興味深いものでしたので、ちょっと取り上げてみたいと思います。




先ほども触れましたが、ニュータウンの建設がはじまったのは、1961(昭和36)年のこと。



昭和30年代、まだ開発前の千里丘陵。のんびりしていますね。「となりのトトロ」のよう。



宅地造成が開始され、一年後の1962(昭和37)年には早くも最初の団地群が完成。入居がはじまります。



幼心には、街が日に日に出来上がって行く姿はどのように映ったのでしょうか。ちびっ子次女と同世代と思しいので、より気になります。



この時代の例に漏れず、先進的なニュータウンの人気は大変なものだったようですが、急激な造成にインフラ整備が追いつかず、道は未舗装のままで、雨の日には長靴でないと外へ出られないほどだったそうです。係の方の話しから。


高度経済成長に入っていた日本は、大都市に人口が集中するようにもなっていました。

都会の住宅事情を改善することにもなる、日本初の大規模ニュータウンということもあり、各方面から注目を集めたといいます。昭和天皇ご夫妻がご視察、1966(昭和41)年4月。



このように、街開きされたばかりの千里の名が全国的に知られる一大イベントが、1970(昭和45)年に開催されました。あの「日本万国博覧会」、「大阪万博(EXPO'70)」です。

次回に続きます。
今日はこんなところです。

(出典①「千里ニュータウンマップ2018」千里ニュータウン再生連絡協議会発行)