企画展「振り返ろう懐かしの千里万博の時代」千里ニュータウンを訪れる〜その12 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

1970(昭和45)年開催の「大阪万博」で活躍した、万博を巡る千里の鉄道を中心にした交通機関についての企画展「振り返ろう懐かしの千里万博の時代」訪問記をお送りしています。




重層高架化工事に、複雑な平面交差の興味深い淡路駅(大阪市東淀川区)を後に、阪急千里線に乗り、北へ15分ほど。ようやく目的地の南千里駅(大阪府吹田市)に到着しました。


千里線は、さらにこの先へも路線が延びています。終点、北千里駅(同)は2つ先。

線名になっている千里丘陵の中枢へとですが、ホームの先端から見えるのはトンネル。地下線のそれを除くと、阪急ではこれが唯一の山間トンネルなのだそうです。


さて、列車が発車したホームは閑散とするのですが、しばらくすると次の列車に乗ろうとする人々がぽつりぽつりとやって来ます。やはりニュータウンのある駅、活気があります。

一日の乗降客数は20,681人(令和3年調べ)。


それでは、改札を出てみることにします。上下線高架の真下に設けられているもの。



この駅に列車は、日中10分おきの発着。
各駅停車のみですが、下りは「大阪梅田ゆき(大阪市北区)」と「天下茶屋ゆき(同西成区)」が相互にやって来るというダイヤ。

後者は、大阪市内中心部を南北方向に貫く「OsakaMetro堺筋線」に乗り入れるもの。さらにそれぞれ、先ほど訪れた淡路駅で各方面に接続が図られているという、便利なものです。


改札を出ますと、それにつながるペデストリアンデッキからさまざまな施設が点在しているのがわかります。飲食店の入る商業施設に…


まだ目新しいマンション。駅前から雨に濡れないですね。



バスロータリーの向こうにはビジネスホテル。

これは知りませんでしたが、よくよく考えるとここは、万博記念公園や名神高速道路と中国道、近畿道の「吹田ジャンクション」にも至近距離。大変便利なところです。



先日の記事でも触れましたが、ここは国内初の大規模なニュータウン「千里ニュータウン」の南端に当たるところ。

これら団地群の街開きに合わせ、1963(昭和38)年8月に終着駅として開業したそうです。


駅の東側には、大阪人には馴染み深いスーパー「阪急オアシス」。道をはさんで、この地域の救急救命の拠点になっているという「大阪府済生会千里病院」もありました。



いやしかし、生活に必要な施設が、駅を核にして整然と揃っていることがよくわかります。

その街の中には、都市の中心部まで安定して大量輸送出来る鉄道に、ゆったりと幅の広く取られた幹線道路。いちから街を創ることが出来る、大きなメリットと言えましょうか。


ニュータウンというものは、実に計画的に整備されたものなのだなと、駅前をうろうろしていてあらためて肌で感じるものでした。

自分が住むところと、街の形がまるで違うなあと感心しきりで駅前に戻って来ますと…


郵便ポストが「ガンバ大阪」のラッピングに!言わずと知れたJリーグの名門チームですが、そういえば、そのホームスタジアムは同じ市内の万博記念公園近く。

街の象徴としてプロスポーツチームがあるというのは、応援のし甲斐もありますね。おらが街にも「花園近鉄ライナーズ」がありますが。



くだんのカラフルな郵便ポストの向こうに、企画展が行われている会場「千里ニュータウンプラザ」はありました。いつものように寄り道を度重ねましたが、ようやく辿り着けました。

次回に続きます。
今日はこんなところです。