みなさんこんにちは。前回からの続きです。

高層ビル群が立ち並ぶ大阪梅田。
その嚆矢となった「大阪マルビル」がついに閉館、解体がはじまったというので、その様子を観察しに来た続編をお送りしています。
「阪神大阪梅田駅(大阪市北区)」を出て、南側の地下街「ディアモール大阪」を少し入ったところで地上に出て参りました。

回れ右しますとそこにあるのは、梅田に来るたび見慣れた「マルビル」。特徴のあるどこまでも丸い形状に、おしゃれなレンガ調の外観。



今日のそれには見られない、実に味わいのあるビルです。しかし、解体工事は着々と進められていました。


ところで、前回の記事でも触れましたが「マルビル」というと「空港バス」が発着する場所。
早朝から夜までリムジンバスは頻発していて、わたしも伊丹に行く折などは北新地の駅を降りて、いつもここから乗っていたのですが。

リムジンバス乗り場は、解体進むビル真下で無事に営業中。これには安心しましたが、マルビルが建て替えられる猶予に、その跡地は万博会場へのバスターミナルに転用されるということなので、こちらはどうなるのか気になります。

ところで先日、姿を消すこの「大阪マルビル」を取り上げた特集番組が放送されていました。
「かんさい熱視線 大阪マルビル物語 1976-2023(NHK大阪ローカル 2023年10月20日放送)」より。つい、見入ってしまいました。
マルビルの開業はいまから47年前の1976(昭和51)年3月のこと。2年半の工期で竣工し、高さ123.92m・地上30階建てという、梅田のみならず、大阪でははじめての高層建築ビルでした。
ちなみに解体工事を施工しているのは、マルビルを建築した「株式会社フジタ(大和ハウス工業のグループ会社。マルビルも同じ傘下)」。
なんという巡り合わせなのかと感じます。


いまでは信じられないのですが、マルビルが出来た当時、大阪駅の南側はバラックが立ち並ぶ雑然としたところだったといいます。
再開発にもかなりの困難が伴ったようですが、マルビルの開業以降、一気に様相が変貌したそうです。ただこの下町情緒、大阪らしいといえば、大阪らしい雰囲気なんですが…
それから、屋上にあった電光掲示板もです。
当時はスマホなんてなかったですし、なにより珍しいものでした。大阪駅の環状線ホームからこれを眺めるのが、小さい頃は大好きでした。

先ほども触れましたが、大阪市内でも雨後の筍のごとく林立する高層ビルは数あれど、このマルビルにはなんらかの思い出がある、という話しをまわりの人から耳にします。
ディスコ「マハラジャ」や、最先端の高級ブランドが入っていたり、核テナントの「第一ホテル」が人気だったり。わたしは「タワーレコード」でしょうか。品揃えが大阪一でしたので、中高生からよく足を運んだのを覚えています。
しかし、印象に残るのはやはりこれなんでしょうね。番組内で都市工学専門の学者さんが語られていましたが、滑らかで円形だということ。
角々した、見方によれば特徴に乏しい高層ビルのそれとは明らかに違うもの。これを見かけるたびに、梅田に来たんやな、梅田ならではやなあと感じるとともに、なにかしらほっと落ち着く気持ちもしたものです。なるほど、です。

半世紀近くにわたり、梅田の街を見守って来た「大阪マルビル」。長い間のシンボルとして、梅田のランドマークとして、お勤めお疲れさまでした。
あたらしいマルビルは、万博閉幕後に着工するのだそうですが、やはりこの丸い形で生まれ変わる、あたらしい姿を期待してしまいます。
今日はこんなところです。