「近鉄全線2日間フリーきっぷ」で巡る近鉄沿線道中記2023〜その27 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

今年6月に限定で発売された「近鉄全線2日間フリーきっぷ」で巡った、近鉄沿線乗り鉄道中記をお送りしています。



スタミナがつきそうな「四日市トンテキ」をおいしく頂いた後、四日市から急行に乗車。
5分ほどで、次の「近鉄富田駅(とみだえき、三重県四日市市)」で途中下車しました。


富田は、四日市と桑名の間に位置する街。
引き続いて「国道1号」と「旧東海道」が寄り沿っています。

近鉄電車と付かず離れずで並走している「JR関西本線」にも近隣に駅があり、このあたりも交通の要衝です。以下、グーグル地図より。


この駅からは「三岐鉄道 三岐線(さんぎせん)」という路線が3番線から分岐しています。近鉄の桑名・名古屋方面ホーム(2番線)のま隣です。

使用されている車両は、首都圏でおなじみの「元・西武鉄道」のもの。これは後述します。


「三岐線」は富田を起点に、北西方向の「西藤原駅(同いなべ市)」まで延長26.5kmの路線。軌道幅はJR在来線と同じ狭軌(1067mm)。JRに直通する貨物輸送が行われているためです。

数キロ北側には「北勢線(ほくせいせん)」という同じ会社の路線が並行しているのですが、もともとは近鉄の路線。それも先日まで取り上げていた、我が国に3社・4路線存在する「ナローゲージ鉄道」の生き残りのひとつです。



もともとは、山間部に入りつつある終着駅付近で生産されるセメントの輸送が主力だと言うのですが、富田で近鉄電車と接続している利便性の良さから、近年では沿線の開発も進んでいると言います。


ちなみに、社名と路線名となっている「三岐」とは「三重・岐阜」の頭文字を取ったもの

路線計画時に、始発と終着の地名を組み合わせたという例のひとつですが、果たして岐阜県内のどこへ繋げようとしていたかというと…


関ヶ原付近(JR東海道本線関ヶ原駅、岐阜県不破郡関ヶ原町)だとされています。

先ほども触れましたが、三岐線が輸送するセメントや原料の石灰石は、産業発展のための必需品。戦前戦中では軍事物資にもなりました。それらの輸送のため、当時、我が国鉄道の最重要幹線だった「東海道本線」に「三岐線」を直結させようという思惑があったようでした。


広域にすると、このような位置関係に。
関ヶ原から少し西に行くと、北陸方面へさらに分岐する「米原駅」。左側は「びわ湖」です。

このあたり三重・岐阜・滋賀の県境に当たりますが、地図を眺めるだけだとこれ、思いのほか互いに近いのでは、とも感ずるのですが、県境には「藤原岳(標高1144m)」をはじめとした険しい山岳地帯が連なります。 


社名通りに岐阜・関ヶ原まで路線を延ばせず、三重県内の西藤原が終着駅になったのも、まさにそれが理由なのでした。ただし、セメント輸送は富田を経由し、JR経由で現在も盛んです。余談でした。


ところでこの駅を発車すると、単線の「三岐線」は「近鉄名古屋線」の複線としばらく並走する区間に入ります。出典①。

お互いに見た目もまったく異なる塗装と車両なのが特徴ですが、この近鉄との並走区間は、実は「三岐線の本線」ではなく「近鉄連絡線」という扱いがなされています。



その理由というのは、この富田駅周辺に巡らされた「JR・近鉄・三岐」三線が織りなす複雑な配線と、歴史的な経緯にあるといいます。



次回に続きます。
今日はこんなところです。

(出典①「むかしのくらし読本4 四日市の昭和の鉄道」四日市市立博物館編・発行 2018年1月)