「近鉄全線2日間フリーきっぷ」で巡る近鉄沿線道中記2023〜その28 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

今年6月に限定で発売された「近鉄全線2日間フリーきっぷ」で巡った、近鉄沿線乗り鉄道中記をお送りしています。




旅の第1日目(2023年6月13日)。
大阪を早朝に発ち、三重・四日市周辺の鉄道をぶらぶら巡るという行程になりました。

ここは「近鉄富田駅(とみだえき、三重県四日市市)」。「近鉄四日市駅」からは急行で名古屋方面にひと駅、5分ほどのところです。



この駅から分岐しているのは「三岐鉄道三岐線(さんぎせん)」という路線です。

真横から発車する、マルーンレッドの近鉄電車とは大きく異なる黄色にオレンジ地という塗装は実に明るいイメージですが、これは「三岐鉄道」の伝統色。


この車両は、もと「西武鉄道」の車両。首都圏で長年活躍した後、2009(平成21)年にここ伊勢の地にやって来たという経歴があります。

「新101系」と呼ばれたこの車両、大きく取られた正面の二枚窓は、その最たる特徴と言えましょうか。


ではここで、この車両が西武で現役だった頃の様子を少し探ってみることにします。

出典は手元の「カラーブックス506日本の私鉄2 西武」(西尾恵介・井上広一共著 保育社刊・発行 昭和55年7月5日初版)より。


池袋・サンシャインビルを背景にした表紙もですが、大見出しになっていたのは「特急レッドアロー号」。まだ詳しい地理の分からぬ小さな頃に「秩父」という地名を知ったのも、まさにこれのおかげ?でした。

大きな窓の高運転台に、ライト類が整然と並ぶ姿もさることながら、塗装が割合にシンプルなのが引き立ちかっこいいなあ〜と感じた幼い頃でした。いまは、富山で活躍していますね。



それに続いていたのがくだんの「新101系」。

1979(昭和54)年にデビューしたということで、この書籍が発行された頃は、まさに新型車両。1984(昭和59)年までに150両あまりが製造、一挙に主力車両になったといいます。


数は減らしながらも、現在も現役だそうです。

しかし、あちこち乗り鉄するようになってからも、不思議と西武線に乗る機会はあまりありませんでした。上京の際に「西武ドーム(当時)」の対ホークス戦を観に行ったくらいでしょうか。


ただ、この特徴ある斬新な顔つきをあらためて眺めていますと、西武鉄道を想起するもののひとつであることに相違はありません。



発車まで時間がありましたので、ちょっと車内を見学してみます。


20m級の車体ですが、客用扉は3枚(通常は4枚の場合が多い)。それゆえに座席がとても長く感じられます。


妻面(つまめん、運転台のない車両の端)。
機能的な印象を受けますが、戸袋に細長い窓があるというのは、関西や中部の私鉄ではあまり見かけないので、珍しいもの。



昭和54年製、と銘板にあるので、最初に登場したロットになりましょうか。

製造から44年。わたしと同い年だという(汗)



三岐線の列車は日中、おおむね30〜40分間隔の運転。名古屋線の急行列車と接続するようにダイヤが工夫されているといいます。


せっかくなので、行き交う「名古屋線」の列車を観察することにしました。早速、大阪難波ゆき「アーバンライナーnext」が颯爽と通過。

大阪から離れたところですが、やって来る車両は、普段から見慣れた近鉄電車そのもの。


そんなことを考えていますと、四日市よりさらに遠く、県境を越えて名古屋に来た折など、列車を降りて街に出ますと、関西とはまったく異なる光景に触れます。当たり前ですが。



しかしそんな中「近鉄名古屋駅」の改札を一歩入ると、そこにはもうすでに、関西の空気が満ち溢れています。

大阪で見慣れている近鉄電車に、駅の設え。
ここが名古屋のど真ん中だというのに、です。


これ、いつも不思議な気持ちになるのですが、まだ名古屋に居るのにも関わらず、すでにここから関西の雰囲気を感じ取ります。わたしにとっては安心感が半端ありません。

おそらくこういった場所というのは国内でもそうそうないのでは、と思えます。余談でした。



さて、興味深いのはこの駅の南端部分。
三岐線の線路は少し延びているものの、途中でぶった切られている様子がわかります。

2両編成ですので、詰めればもう一編成が留め置けそうとか、左へ曲げたら近鉄電車と直通出来そうやなあ、などと勝手な妄想をしてしまいます。もとより、軌道幅が違うので無理ですが💦


行き交う列車を、ホームで眺めることしばし。次の「西藤原ゆき」が入って来ました。

やはり、こちらも「元西武鉄道」車両。
先ほどの車両とは異なり、四角い顔つきが特徴です。西武時代は「401系」と呼ばれた主力車両だったというのですが…


よくよく、方向幕を見ますと「近鉄富田」という表記がなされています。


この付近には「JR富田駅」も存在している、ということを先日の記事で触れたのですが、見方によれば、わざわざ「近鉄の駅に行きます」と行き先を殊更、主張しているようなこの表記。



では、この富田駅周辺に入り組む「JR・近鉄・三岐」の複雑で不思議な配線と、歴史的な経緯をさらに掘り下げてみることにします。


次回に続きます。

今日はこんなところです。