「近鉄全線2日間フリーきっぷ」で巡る近鉄沿線道中記2023〜その15 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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みなさんこんにちは。前回からの続きです。

今年6月に限定で発売された「近鉄全線2日間フリーきっぷ」で巡った、近鉄沿線乗り鉄道中記をお送りしています。




「ナローゲージ」という、いまや国内に3社・4路線しか存在しない貴重な、軌道幅が762mmの車両も小規模な規格の鉄道。


これの乗り鉄をしたいと「四日市あすなろう鉄道八王子線 西日野駅(三重県四日市市)」にやって来ています。この線の終着駅です。




いま降り立っている「西日野駅」ではなく、かつては「伊勢八王子駅」が終着だったという「八王子線」。


1976(昭和51)年春に廃止になった駅名がいまも残されている、なんとも歴史ある経緯がわかりました。グーグル地図、駅前の案内より。



西日野の駅からロータリーを抜けますと、二車線の市道と「天白川(てんぱくがわ)」という、静かな佇まいの小川に突き当ります。

ここから先、川沿いの道路に「伊勢八王子駅」まで線路は延びていました。


この「天白川」はかつて、このあたりでは「笹川(ささがわ)」とも呼ばれていたようです。

参考文献を眺めていますと、春には桜並木が並ぶところだと、なんと風情あるところだったのかと感慨に耽ってしまうのですが、この川沿いの区間が突如、廃止に追い込まれる事態が起こります。以下、出典①。続きます。


集中豪雨
昭和49号7月25日、梅雨末期の集中豪雨で、四日市では降り始めてからの総雨量が304.5ミリメートル、朝6時からの一時間雨量は71.5ミリメートルを記録しました。

このため、内部川(うつべがわ)・鹿化川(かばけがわ)・天白川など多くの中小河川が決壊・氾濫し、死者2名、負傷者7名、床上浸水6,380戸、床下浸水10,713戸という大被害が発生しました。



この豪雨で決壊した天白川沿いを走る八王子線は、西日野・伊勢八王子間が不通になり、バスによる代行運転が実施されました。



運転再開の為には天白川の改修が必要とされ、
協議の結果、西日野・伊勢八王子駅間は、廃止されることになりました。

日永・西日野間は存続区間とされ、昭和51年2月に運輸省(当時)の許可がおり、同年4月1日からの運行再開と、西日野〜伊勢八王子駅1.5kmの正式な廃止が決まりました。


現在の西日野駅は旧位置より東へ100m移設されています。廃止された線路は、天白川の改修と市道の拡張により、その跡を見ることは出来ません。(後略、P20-21)


しかしこれは…「八王子線」は天白川沿いの、それも真横を走っていたために、護岸堤防が崩壊した直撃を受けたことがわかります。


さらに、路盤真下の盛り土が根こそぎ崩壊したことで線路があちこちで宙ぶらりになるなど、写真で見るだけでも、相当に酷い被害です。

すでに古くから住宅や、紡績工場などが密集している繁華な土地だったこともあり、復旧作業は急がれます。以降、幸いにも大きな水害が発生することはなくなったのだとのこと。


ただし、コンクリートによる護岸工事と、交通量の急増していた市道を拡幅する工事を同時に行う必要がありました。

ただし廃線には、地元から非常に強い反対があったそうですが「天白川」沿いの「西日野〜伊勢八王子駅間(1.6km)」は復旧されず、それらのために代替で廃止になった、と言います。


「八王子線」は起点が現在の「西日野駅」まで後退。わずか一駅の支線になりました。

さらにこの復旧の際、約100mほど手前の内陸側に移設され、かつての駅跡には「三重交通バス 西日野停留所」が設けられています。



行き先は「近鉄四日市・JR四日市」でした。

廃線になった室山や八王子を経由してやって来るものですので、廃止区間の代替交通、と言えるのでしょう。日中は30〜40分おきの設定と、鉄道とほぼ同じ頻度です。


ただこの先は、市内でも古くから拓けた地域と住宅地の広がる、ニュータウンが混交しているというところ。グーグル地図より。


もし、の話しですが、水害がなければ「八王子線」はどうなっていたのか…近鉄時代は路線自体の廃線が検討されていたものの、「あすなろう鉄道」になってから、サービスの向上で利用者も戻りつつあると耳にしますし…出典②。





さらに室山や八王子周辺には、八王子線を開業させる契機になった古い紡績工場、寺社仏閣や酒蔵などが点在し、四日市市に編入される前の村役場などがあった、四郷(よごう)地区の中心地だったというところ。

西日野の駅前に、この四郷地区の観光案内があるのを鑑みると、歴史散策にも人気があることも頷けます。



歴史に「もし」はないでしょうが、ナローゲージの小さな電車が、川沿いの古い街並みを縫うように今日でも走っていたならば、四郷地区のレトロを巡る、ちょっとした観光路線になっていたのかも…などと想像してしまいます。



それとともに、なぜに「西日野線」ではなくて「八王子線」だったのか、一駅だけだったのかということ、実にさまざまな経緯があったことに、ふと思いを致してしまった次第でした。


1974年(昭和49年)7月25日
日永駅 - 伊勢八王子駅間が集中豪雨で不通となり休止。代行バスによる輸送を随時開始。

1976年(昭和51年)4月1日
西日野駅移転復旧。日永駅 - 西日野駅間運行再開。休止中の西日野駅 - 伊勢八王子駅間廃止。

出典②、③



次回に続きます。

今日はこんなところです。


(出典①「むかしのくらし読本4 四日市の昭和の鉄道」四日市市立博物館編・発行 2018年1月)

(出典②「四日市あすなろう鉄道 乗って歩いて再発見マップ」特定非営利活動法人四日市の交通と街づくりを考える会企画・編集 四日市市発行 2023年3月)

(出典③「フリー百科事典Wikipedia#四日市あすなろう鉄道八王子線」一部加筆修正)