「近鉄全線2日間フリーきっぷ」で巡る近鉄沿線道中記2023〜その14 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

今年6月に限定で発売された「近鉄全線2日間フリーきっぷ」で巡った、近鉄沿線乗り鉄道中記をお送りしています。



「ナローゲージ」という、いまや国内に3社・4路線しか存在しない貴重な、軌道幅が762mmの車両も小規模な規格の鉄道。

これの乗り鉄をしたいと、まずは「四日市あすなろう鉄道八王子線 西日野駅(三重県四日市市)」にやって来ています。



さて、この「西日野駅」が終点となっているのに線名は「八王子線」と実態と異なることになっているのは、かつてはこの先に存在していた「伊勢八王子駅」に由来していた…というところまで触れました。西日野駅前の案内板より。



この先の「西日野〜伊勢八王子駅間」は、1976(昭和51)年春に区間廃止されたというのですが、それについてはこちらの「四日市の昭和の鉄道」という、市立博物館が編纂した書籍に詳しくありました。ちょっと力をお借りします。


「八王子線」と、それから分岐する「内部線」が発着しているのは「近鉄四日市駅」です。

これは「四日市あすなろう鉄道」となった現在も同じですが、1974(昭和49)年6月の「名古屋駅」「湯の山線」高架化までは、このように地上駅に各路線が揃っていました。


気になるのが、改札を入ったところに並んでいるこの2編成の電車。


表紙から。左が「八王子ゆき」、右が「名古屋線」の列車。さながら大人と子どものよう。

決して遠近法ではないものです、というのは冗談として、ナローゲージという、軌道幅や車両規格がひときわ小さい「内部・八王子線」の特徴がひと目でわかるもの。しかし、すごい。


「日永駅」で「内部線」と分岐し、列車はこの「西日野駅」へ至ります。グーグル地図より。


「伊勢八王子駅」まで線路が延びていた頃は、現在の駅舎をぶち抜く形で、ロータリーになっている敷地を通り抜け、向かって左カーブを取っていました。西方向に進路を変えます。


そこにあったのが「旧・西日野駅」。
一面一線の駅ですが、実にローカル線らしい長閑な雰囲気です。昭和30年代でしょうか。


西に進行方向を変えた「八王子線」は、ここから「天白川(てんぱくがわ)」に沿っていました。


廃止区間、唯一の中間駅だった「室山駅」。

こちらも一面一線ですが、廃止区間にある四郷(よごう)地区の中心にあり、にぎわっていたようでした。川すれすれの駅と線路です。



区間廃止になる前年の、室山の駅に進入する八王子ゆき。昭和48年ということですから、カラー写真が普及し始めた頃でしょうが、近鉄ならではのマルーンレッド、これは映えます。


「亀山製糸」という、明治早くに四日市で創業した紡績工場の傍らを、列車は通過。この工場で生産された製品を輸送するために敷設されたのが「八王子線」でした。


室山を発車。しかし、これは情緒があります。いまも、このような風景が残っていれば。




四郷地区を東西に縦貫したところが、終着の「伊勢八王子駅」。

昭和30年代までは、機関車(もしくはモーターの付いた電車)で客車を引く列車があったそうで、電動力となるそれらの車両を折り返し側の先頭にするための、いわゆる機回し線が奥に延びているのがわかります。


沿線に活況があった頃には、この先さらに、鈴鹿方面への延伸構想もあったのだとのこと。
当時の様子を垣間見ているだけでも、なんだか心がほっとする沿線の風景です。

しかし昭和40年代に入ると、道路事情が好転したことから利用客数は次第に減少。そもそもの目的だった貨物輸送も、トラックに取って代わられるなど、ナローゲージは苦境に陥ります。


そんな中の、1974(昭和49)年7月25日未明。「八王子線」の運命を左右する事態が起こります。


次回に続きます。

今日はこんなところです。


(出典「むかしのくらし読本4 四日市の昭和の鉄道」四日市市立博物館編・発行 2018年1月)