みなさんこんにちは。前回からの続きです。久々の家族旅行で、3月なかばに「箱根・小田原」を訪れた道中記をお送りしています。
旅は第3日目(2023年3月12日)。迎えた最終日は、小田原周辺の観光地巡りに当てました。

小田原と箱根湯本の中間に当たる「風祭(かざまつり)」。国道1号沿いにある、小田原のかまぼこ老舗メーカー「鈴廣」さんが手掛ける「かまぼこの里」を訪れています。
こちらの施設で保存されている、旧型の登山電車をじっくり見学しようかというところ。
新型車両の投入に合わせ、2019(令和元)年7月に引退、同年の9月に当所へ運び込まれたという「107号車」です。


それでは、早速車内から拝見して参ります。
カフェに併設されているということですので、車内は飲食が可能なようにされていました。
このようにして眺めますと、わたしたちが普段利用している電車より小ぶりな感じがします。
険しい箱根山中を登り降りするため、自ずから路線の規格は厳しいものに。車体全長は14.6mあまりしかありません。JRの在来線ならば、20mを優に超えます。


運転台まわり。運転席が中央に設えられていることがわかるのですが、意外にもなんとも簡素な設えです。


「主幹制御器(マスターコントローラー)」と呼ばれる、自動車ではアクセルに相当するハンドル。古い佇まいがたまりませんが、路面電車のように実に大柄なものです。

急勾配を登り降りするために、力行(加速)だけでなく、制動(ブレーキ)機能を兼ね備えたもの。「抑速制動」と言われる仕組みですが、山岳路線を走る鉄道車両では、よく見られる装備。いわば「エンジンブレーキ」の機能です。


しかし、現在登場する車両ではまず見られないさながら骨董品のような装備が目に付きます。
助手席側の、緊急時に使う「手ブレーキ」に…


吊り革の支柱を天井から支える金具や、網棚端の金具のデザイン。芸術性を感じるものです。

車体は全鋼製だというのですが、車内は木がふんだんに使われています。これは味わいがありますね。4年前まで、これが現役だったとは。

車外へ出てみます。小柄な車体に比しての、なんたる台車の大きさたるや!驚きます。

この旅、第2日目の記事でも触れたのですが、急勾配・急カーブが連続するゆえ、幾重にも兼ね備えられたブレーキ装置。

レールすれすれに取り付けられている「カーボランダムブレーキ」も、当時のまま残されていました。これ、近くで観察してみたかった!
万が一通常のブレーキが効かない時には、これをレールに押さえつけ、摩擦で列車を止めるというもの。結構に大きなものでした。
続いて、運転台のない妻面側です。かつてはこちら側にも運転台はあったそうですが、輸送力アップのために撤去されたとのこと。

一般的な鉄道と、登山電車がその性格を異にしている特徴のひとつは、車両同士をつなぐ貫通幌がないこと。あり得ないような急カーブで、幌が破損してしまうおそれがあるためです。


そして、固定部分から長く延びた連結器もそうです。首振りの遊びを持たせることで、急カーブをやり過ごせるようにしているという、特殊なもの。


この「107号車」が引退したのは、先ほども触れましたが、いまから4年前の2019(令和元)年7月のこと。

「107号車」のデビューは(大正8)年に遡るとのこと。戦後の1950(昭和25)年に木製車体を全鋼製に更新し、以降、令和の時代に至るまで箱根の山を登り降りし続けた車両でした。デビュー当時の画像を見つけました。出典①。
「吊り掛け式」という、いまでは絶滅危惧種の旧式モーターを最後まで装備していたことで、鉄道ファンには人気を博していたようです。

ところで、この旅の記事で幾度か触れておりますが、箱根を訪れるのは36年振りのわたし。
親からカメラを借り、はじめて乗った登山電車をあれこれと撮っていたようなのですが…

小涌谷で一泊した翌朝、濃霧の中からやって来る登山電車を捉えたショット!
それが、まさにこの「107号車」でした。
なんと偶然なことかと、アルバムを繰って驚いたのですが、これに乗って湯本まで山を降りたようでした。小涌谷にて。1987(昭和62)年8月4日、小学3年生のブログ主撮影。

ということで、期せすしてここで、実に36年振りの再会を果たしたのでした。
さすがに、当時の仔細は覚えてはいないのですが、昭和も終わりを迎える頃、という遥か彼方の楽しい旅の思い出が、このように、この旅ではじわじわと甦ることが確かにありました。
それが今度は、ヨメハンと大きくなった娘たちを連れての再訪なのですから…
思わず、感慨に耽った瞬間でした。
次回に続きます。
今日はこんなところです。
(出典①「フリー百科事典Wikipedia#箱根登山鉄道_鉄道線」)