春の箱根と小田原へ!念願の家族旅行記2023〜その39 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

久々の家族旅行で、3月なかばに「箱根・小田原」を訪れた道中記をお送りしています。



旅の第2日目(2023年3月11日)。
箱根山中の観光地を巡り、ケーブルカーで「強羅駅(神奈川県足柄下郡箱根町)」にやって来ました。ここからさらに、登山電車で山を降りるというところ。




登山電車まで少々時間がありますので、駅前を散策してみることにしたのですが…

まるで山小屋、と言いましょうか、ペンションか、ロッジのようなおしゃれな駅舎。丸木がいい雰囲気を醸し出しています。


それでは、この駅については…全国47都道府県をテーマにしたシリーズもの「各駅停車全国歴史散歩15 神奈川県」(神奈川新聞社編 昭和55年2月初版発行 河出書房新社刊)から、再び拾ってみることにします。

花壇と彫刻の湯の街 強羅
強羅温泉は箱根の中でも比較的新しい。温泉場として登場するのは大正に入ってから。それまでは「強羅」という地名すらなかった。


かつて、強羅一帯は江戸期の早雲山の地滑りでゴツゴツした岩だらけ。こうした情景を写した「磧(かわら)」がなまって「ごうら」になったのではという。

この名残りは一帯あちこちにも見られ、強羅駅前では地下60mまでが岩に埋まっている。なにしろ明治末まで湯治客用の茶屋など民家は二軒しかない荒涼の地だった。



ここに目をつけたのが、箱根登山鉄道の前身・小田原電気鉄道。同社は強羅開発の一環として大正3〜8(1914〜1919)年にかけて約15万坪(49万5000平方メートル)の土地を整備したうえ、もともと温泉のなかった強羅に県有地の大涌谷の一角を借り、噴煙口から吹き出す熱気に水をかけて出来た湯を温泉として引き込んだ。
(中略)こうして強羅が世にデビューした。(P203-204)



ここでも、硫黄臭と噴煙が間断なく立ち上る「大涌谷」が登場。
強羅のみならず、箱根観光の代名詞とも言える温泉群ですが、そのためにはここがなくてはならない存在だったのかも知れません。

しかし、由来が「岩だらけ」からだったとは。地名というのは、その土地の謂れを物語るもの。実に奥深いものですが、地熱を吹き付け、温泉をわざわざ拵えるだとは…実に、手間のかかることをしていたんですね。



ところで、このおしゃれな駅舎の入口にこのようなものを見つけました。

1979(昭和54)年、スイス「レーティッシュ鉄道」と結ばれた姉妹鉄道の友好関係について。かの鉄道こそ「箱根登山鉄道」がその範を取った、元祖・登山鉄道です。



当時は「ベルニナ鉄道」と呼ばれていたそうですが、他にはスイスから贈られたカウベル。

鳴らされへんの?と、ちびっ子次女。確かに、これは鳴らしてみたくなる\(^o^)/



駅ホームが、まさに「レーティッシュ鉄道」の「サンモリッツ駅」を模したものに!


こうして眺めていますと、まるで本当にスイスに来たかのようです。この駅のつくりも、どことなくヨーロッパの駅っぽいですし…



「スイスに登山鉄道がある」ということは、実は箱根登山鉄道から知った次第なのでした。36年前、初の箱根旅行を前にしてのこと。

このような美しいところを走る鉄道が世界にはあるのかと、当時はインターネットなどない昭和の終り、図書館で借りた本を読んだりして、衝撃を受けたことを思い出します。
いつかは乗ってみたい、本場の登山鉄道です。


そういえば、駅を行き交う登山電車の車両も、スイスのそれそっくりだという!

いまは、箱根の旅を楽しみたいと思います。


次回に続きます。

今日はこんなところです。