みなさんこんにちは。前回からの続きです。久々の家族旅行で、3月なかばに「箱根・小田原」を訪れた道中記をお送りしています。
旅は第2日目。この日まずは、芦ノ湖畔の深い緑に覆われた「箱根神社(神奈川県足柄下郡箱根町)」へやって来ました。
それでは、この「箱根神社」については…
旅日記では毎度登場する愛読書、全国47都道府県をテーマにしたシリーズもの、
「各駅停車全国歴史散歩15 神奈川県」(神奈川新聞社編 昭和55年2月初版発行 河出書房新社刊)から、拾ってみることにします。

最近、一躍脚光を浴びている源頼朝もそうした(箱根権現の)パトロンの一人である。
とりわけ、治承四年(1180)の小田原・石橋山合戦の直後は劇的である。頼朝は手兵300を率いて石橋山に布陣、平家方の大庭景義3000騎と戦ったが、大敗していったん山(湯河原)へと落ちた。
ここでも追撃の兵に敗れたところを、梶原景時に助けられて箱根権現(箱根神社)へ隠れた。
翌日8月25日に権現を出発、真鶴半島へ出て、28日にわずかな家来を引き連れて小舟で安房(千葉県)へ渡ったが、これからわずか1ヶ月余りの後、源氏一統5万騎を従えて鎌倉へー。
「小田原城」から、真鶴・伊豆半島と望む。
頼朝は鎌倉で幕府を開き、以後、600年の武家政治の基を築いた。鎌倉幕府を開いてからも同神社を特別に待遇。神社は源氏三代によって厚く守られた。(後略、P206-207)
なるほど…隆盛を誇った平家を滅亡させた後、ここ相模国(現在の神奈川県)で力を蓄え、鎌倉幕府を拓いた史実はよく知られているもの。
ただ、このお社のおかげで窮地を救われることになったことに、頼朝公が深い恩義を抱いていたことが伺えるエピソードです。出典①②。
箱根神社から鎌倉までは、相模湾をはさんで直線距離では、50kmほど。
いずれも著名な名刹ですが、やはりというか、そこにこのようなつながりがあることに、連綿と続く歴史を感じます。グーグル地図より。
ところで、箱根旅行は36年振りのわたし。
念願の登山電車に乗り、小田原から東海道線で移動して、最終日には江ノ電にも乗っていたようでした。えらい写真で申し訳ありません。
鎌倉の大仏さんや「鶴岡八幡宮」も参拝したのでしょうが…記憶がまったくありません(汗)1987(昭和62)年8月5日、鎌倉・藤沢駅にて、小学3年生のブログ主撮影。
ちなみに「箱根権現」というのは、箱根山の山岳信仰と、古来からの修験道とが融合した神仏習合の神様、となされています。芦ノ湖から眺める箱根神社の神域と、背景の駒ヶ岳。
霊峰・富士山が控える、険しい山岳地帯という環境で育まれた、独特の信仰だと言います。
いま少し、神域を散策してみることにします。
今日はこんなところです。
(出典①「新詳日本史図説」浜島書店編・著 1991年11月発行)
(出典②「図説日本史通覧」帝国書院編・黒田日出男監修 2014年2月発行)