春の箱根と小田原へ!念願の家族旅行記2023〜その23 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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みなさんこんにちは。前回からの続きです。久々の家族旅行で、3月なかばに「箱根・小田原」を訪れた道中記をお送りしています。



旅は第2日目。この日まずは、芦ノ湖畔の深い緑に覆われた「箱根神社(神奈川県足柄下郡箱根町)」へやって来ました。



それでは、この「箱根神社」については…


旅日記では毎度登場する愛読書、全国47都道府県をテーマにしたシリーズもの、

「各駅停車全国歴史散歩15 神奈川県」(神奈川新聞社編 昭和55年2月初版発行 河出書房新社刊)から、拾ってみることにします。



箱根神社は瓊々杵命(ニニギノミコト、天照大神の子孫。稲作をもたらしたという神様)、彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト、山の幸の神様)、木花咲耶姫尊(コノハナサクヤヒメノミコト、ニニギノミコトの妻。ヒコホホデミノミコトの母)の三神をまつる。

古くから「箱根の権現さま」として広く知られていたようだが、創建ははっきりしない。


ただ「箱根神社大系」によると、孝昭天皇(第5代天皇、懿徳=いとく=天皇5年-孝昭天皇83年)の時、聖仙上人(せいせんしょうにん)が霊峰・駒ヶ嶽の権扉(ごんび)を開き、以後、役行者などの修験者がここで修行したのに始まる。


ちびっ子次女とともに、鬱蒼とした木々の中の石段を進みます。なにかを感じたのか、えらいおとなしい。続きます。

その後、奈良朝の天平宝字元年(757)に中興の開山、万巻上人(まんがんしょうにん、僧人。我が国の神仏習合の始祖と言われる)が駒ヶ岳の神仙宮など三つの寺社をここに集めて天下泰平を祈願、伊豆山神社(静岡県熱海市)、三島大社(同三島市)とともに三所権現の一つと数えられてきた。



「箱根権現霊験記」の曽我兄弟のあだ討ちなど信仰にまつわる物語は多い。このことは同神社が平安中期以降の代々、武家の強い保護により栄えたことを伝えている。



鎌倉幕府以後の戦国時代に入ってからも武家との関係は続き、北条早雲が箱根を掌握した時、神地を寄進したりした。



北条早雲(1456?-1519)というと、箱根から山を下った「小田原城」が有名です。翌日の訪問から先出し。

早雲がこの城を奪取し、現在の規模に拡大整備させたのが、室町幕府下の1495(明応4)年だと言うのですが、以降、100年あまりにわたり、北条氏がこの地を支配するに至ります。
お城については、また後日項にて。


本殿に到着。深い杉森に囲まれた、静かな場所に鎮座しています。参拝客は多いですが…

天正18(1590)年、豊臣秀吉の小田原攻めで後北条が滅びたのにともない、同神社が後北条方に味方したため焼かれ、衰微した。



徳川家康の所領になってからは、神社領と神地不入りの朱印状を贈られるなど、再び手厚く保護されたことが、同神社に残る古文書に伝えられている。


しかし、この本殿の前に鎮座する二対の狛犬。




大きさもさることながら、体躯に苔生す姿たるや。悠久の歴史を感じますが、ここまでの存在感あるものは、見たことありません。


感嘆しきりですが、参考文献はこう続きます。

最近、一躍脚光を浴びている源頼朝もそうした(箱根権現の)パトロンの一人である。



とりわけ、治承四年(1180)の小田原・石橋山合戦の直後は劇的である。頼朝は手兵300を率いて石橋山に布陣、平家方の大庭景義3000騎と戦ったが、大敗していったん山(湯河原)へと落ちた。


ここでも追撃の兵に敗れたところを、梶原景時に助けられて箱根権現(箱根神社)へ隠れた。




翌日8月25日に権現を出発、真鶴半島へ出て、28日にわずかな家来を引き連れて小舟で安房(千葉県)へ渡ったが、これからわずか1ヶ月余りの後、源氏一統5万騎を従えて鎌倉へー。


「小田原城」から、真鶴・伊豆半島と望む。



頼朝は鎌倉で幕府を開き、以後、600年の武家政治の基を築いた。鎌倉幕府を開いてからも同神社を特別に待遇。神社は源氏三代によって厚く守られた。(後略、P206-207)



なるほど…隆盛を誇った平家を滅亡させた後、ここ相模国(現在の神奈川県)で力を蓄え、鎌倉幕府を拓いた史実はよく知られているもの。




ただ、このお社のおかげで窮地を救われることになったことに、頼朝公が深い恩義を抱いていたことが伺えるエピソードです。出典①②。



箱根神社から鎌倉までは、相模湾をはさんで直線距離では、50kmほど。


いずれも著名な名刹ですが、やはりというか、そこにこのようなつながりがあることに、連綿と続く歴史を感じます。グーグル地図より。




ところで、箱根旅行は36年振りのわたし。

念願の登山電車に乗り、小田原から東海道線で移動して、最終日には江ノ電にも乗っていたようでした。えらい写真で申し訳ありません。


鎌倉の大仏さんや「鶴岡八幡宮」も参拝したのでしょうが…記憶がまったくありません(汗)1987(昭和62)年8月5日、鎌倉・藤沢駅にて、小学3年生のブログ主撮影。



ちなみに「箱根権現」というのは、箱根山の山岳信仰と、古来からの修験道とが融合した神仏習合の神様、となされています。芦ノ湖から眺める箱根神社の神域と、背景の駒ヶ岳。


霊峰・富士山が控える、険しい山岳地帯という環境で育まれた、独特の信仰だと言います。



雄大な自然の中では、それそのものに畏敬の念を持つ、信仰の対象になっていたのでしょうね。神話の時代に遡る、深い深い歴史です。

いま少し、神域を散策してみることにします。

今日はこんなところです。


(出典①「新詳日本史図説」浜島書店編・著 1991年11月発行)

(出典②「図説日本史通覧」帝国書院編・黒田日出男監修 2014年2月発行)