長女とデート!?近鉄観光特急「青の交響曲」で新春の橿原神宮へ詣でる〜その9 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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みなさんこんにちは。今日の話題です。




先日より、大阪・阿部野橋から近鉄の観光特急「青の交響曲」に乗り、JK娘と橿原神宮(奈良県橿原市)にデートもといお参りした、という記事をお送りしていました。


少し間が空いたのですが、今日からは、その続きをお送りしたいと思います。忘れていた…訳ではないんですが(汗)




さて、いよいよ目的地の「橿原神宮」にやって来ました。参道からは最初の鳥居ですが、もうここからでも荘厳さを感じます。



三ヶ日が終わった直後の平日でしたが、やはり参拝する人々の、引きも切らぬこと。クルマでやって来る人の姿が目立ちます。




それではここからは、わたしの拙い文章ではなくて手元の愛読書、
「各駅停車全国歴史散歩30 奈良県」(青山茂著・河出書房新社刊 昭和59年5月発行 絶版)から、この橿原神宮について見てまいります。



古代の遺物と風景が残る
橿原神宮前

橿原神宮の森は奉仕でできた

神武天皇陵の南、畝傍山の東南のうっそうと茂った森の中に橿原神宮がある。祭神は神武天皇と皇后の媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)の二神。




「日本書紀」に、神武天皇が畝傍山の東北に橿原宮を造営、第一代天皇として即位したとあるところから、江戸時代から小さな社祠がいとなまれていたが、明治22年になって地元民から神社創立請願が出され、明治天皇の勅旨で造営が始まった。





明治23年に、京都御所内の賢所、神嘉殿が移され、それぞれ本殿、拝殿として建てられた。入母屋造り、檜皮ぶきの壮大な建物で、ともに重要文化財に指定されている。




昭和15年、全国から延べ120万人の老若男女が勤労奉仕に集まり、社殿の修復や宮城の整備が行われた。

宮域敷地も15万坪に拡大され、表参道の北側には全国から寄せられた献木約15万本が植樹された。小さかった木々も、高さ10メートルを越すような大木に成長、うっそうとした森林になっている。




毎年2月11日の建国祭には、全国から多くの参拝者が訪れてにぎわうが、中にはかつて勤労奉仕や献木に参加した人が当時を懐かしむ姿も見られる。

 


宮城の南側に満々と水をたたえた深田池があり白鳥が泳いでいる。


ドイツのハーゲンベック動物園から皇居の堀に寄贈されたうちのひとつがいが昭和32年に移された。昭和58年5月にヒナが誕生、親子連れでスイスイと水面を泳いでいる。(後略)




白鳥は見られませんでしたが、水面を揺らす寒風には、清々しさを感じるものがあります。
久しぶりに、豊かな自然に触れられましたし、しっかり、お参りも果たせました。


次回に続きます。

今日はこんなところです。