みなさんこんにちは。前回からの続きです。
今年5月で開業から100周年を迎えた「近鉄生駒線・旧東信貴鋼索線」。
大阪・奈良府県境を成し、古くから霊峰として崇められていた「信貴山(しぎさん)」へ向かった鉄道網にまつわる歴史に触れるべく、現地を巡った訪問記をお送りしています。
ただいま「河内山本駅(大阪府八尾市)」。
信貴山を東西に縦断して来た小旅行も、いよいよ終盤に差し掛かりました。
近鉄ホームページより。
信貴山を大阪市内方面の西側へ下る、そのメインルートをたどっています。
乗り込んだのは「大阪線」の準急列車でした。
ここからは、出発地の「鶴橋駅(大阪市生野区)」へ一気に向かいます。
河内山本からは、わずか10分少々。
わたしにとっては、慣れ親しんだ道のりです。




シリーズでお送りして来た、信貴山を巡る鉄道の歴史を巡る小旅行。
無事に出発地に戻って来ました。
ここまで、大阪・奈良を分かつ霊峰・信貴山を巡る鉄道、殊に今年5月に開業100周年を迎えた「近鉄生駒線・旧東信貴鋼索線」の歴史を中心に、輸送目的地だった「信貴山朝護孫子寺」を含めて、現地をあちこちと訪れて来ました。
これら2路線を建設したローカル私鉄「信貴生駒電鉄」が目指した、信貴山に至る新路線の開拓によって、押し寄せる参拝客の利便性は劇的に向上され、建設目的は十二分に達成された史実がありました。出典①。
しかし、奈良方からの「信貴生駒電鉄」による「東ルート」に対して、戦前、関西大手私鉄の雄として着々と勢力を拡大していた「大阪電気軌道(大軌、現在の近鉄の母体会社)」による大阪都心から便利な「西ルート」の開拓により、その主役の座を追われます。近鉄ホームページより。
そして、激しく主導権を争った「信貴生駒電鉄」もライバル「大軌」の軍門に降り、それを含めた周辺の中小私鉄が、結果的に現在ではあまねく同じ「近鉄」の路線になっている、という経緯も、実に興味深いものがあります。近鉄ホームページより一部加工。
「大正期に誕生した小さなローカル私鉄が、大手私鉄と競合し、古くからの篤い信仰を集める山上のお寺を目ざした、栄枯盛衰の物語」でした。記念クリアファイルより。
長駆、お付き合いくださりありがとうございました。このシリーズはこんなところです。
(出典①「さとふる納税クラウドファンディング・奈良県三郷町」ホームページより)