開業100周年を迎えた「近鉄生駒線・旧東信貴鋼索線」を巡り信貴山へ その25 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

今年5月で開業から100周年を迎えた「近鉄生駒線・旧東信貴鋼索線」。


大阪・奈良府県境を成し、古くから霊峰として崇められていた「信貴山(しぎさん)」へ向かった鉄道網にまつわる歴史に触れるべく、現地を巡った訪問記をお送りしています。







前回までは、本題から離れまして、久々の「寺社仏閣と御朱印を巡る」シリーズとして「信貴山朝護孫子寺」をお参りした様子をお送りして来ました。


山頂という人里から離れた、荘厳な雰囲気が霊験あらたかな「信貴山朝護孫子寺(奈良県生駒郡平群町)」でした。新緑も眩い季節でしたが、また違う頃にも訪れてみたいと願います。


開運招福、武運長久祈願と、古くから関西一円より参拝客が絶えなかったゆえんも、これは頷けるものがあります。


さて、シリーズ本題に戻ります。
ここからは、この「信貴山」から帰阪する途におつきあい頂くのですが、本題の「生駒線・旧東信貴鋼索線」とは競合関係にあった「西信貴鋼索線」ルートで、下山しようと思います。


グーグル航空地図より。
帰路は「朝護孫子寺」南の出入り口に当たるビジターセンターから「開運橋」を渡ります。



これです、湖にかかる赤い橋の中央から、なんとバンジージャンプが出来るという。名刹とバンジーという、異色の取り合わせでした。

このあたり、茶屋や観光ホテルなどがある信貴山の中心地に当たります。



「開運橋」を渡ってゆっくり10分ほどで「信貴山門停留所(同三郷町)」に到着。
同じ「生駒郡」ですが、橋を渡ると「旧東信貴鋼索線」が発着していた「三郷町」に戻っていました。


案内にもありますが、ここからは「近鉄バス」と「奈良交通バス」の二社の便が発着しています。信貴山を巡る交通網は、これらが主に担っているという今日です。


近鉄ホームページより。
公共交通機関を利用して「信貴山」へ至るルートは、現在は2つがあります。では、それらを比較しながら確認してみることにします。


そのひとつが、ここまで本題で取り上げて参りました「信貴生駒電鉄」による「東ルート」


大阪・奈良・和歌山方面からやって来た参拝客は「生駒(いこま、同生駒市)」や「王寺(同北葛城郡王寺町)」から、同社の「生駒線(現在の近鉄生駒線)」に乗り換え。


「信貴山下駅(同生駒郡三郷町)」で下車。


そこからは「東信貴鋼索線(昭和58年8月廃止)」へさらに乗り換え。出典①。


山上の「信貴山駅(同)」に到着し「信貴山朝護孫子寺」へ徒歩で至るものがそれ。


一方の「西ルート」は、現在の近鉄電車の母体となった「大軌(だいき、大阪電気軌道)」が主体になり開発した、大阪都心から「西信貴鋼索線」を経由するもの。




ターミナルの「大阪上本町駅(大阪市天王寺区)」から「大阪線」に乗り、まず「河内山本駅(大阪府八尾市)」へ。


「信貴線」に乗り換えて「信貴山下駅(同)」に到着。そこから「西信貴鋼索線」とバスに乗り換えて「信貴山朝護孫子寺」へと至ります。


ここからは、奈良側から登った「東ルート」に対して、大阪側の「西ルート」で山を降ることにしています。引き続き、道中が楽しみです。


そういったことで、この「信貴山門停留所」が「東ルート」「西ルート」の境界に当たります。


バスはまだ来ていないので、誰も居ない待合室をこれまた探索。


ワンマンバスなのに改札口だとは、なんとも鉄道らしいもの…と思ったのですが、これがその後、ピタリと合点が行くことになりました。また後日項にて。


次回に続きます。
今日はこんなところです。

(出典①「カラーブックス 近鉄線各駅停車1 奈良・生駒線」徳永慶太郎著・保育社刊 昭和59年4月発行)