みなさんこんにちは。前回からの続きです。
今年5月で開業から100周年を迎えた「近鉄生駒線・旧東信貴鋼索線」。
大阪・奈良府県境を成し、古くから霊峰として崇められていた「信貴山(しぎさん)」へ向かった鉄道網にまつわる歴史に触れるべく、現地を巡った訪問記をお送りしています。
ただいま「奈良交通バス 信貴山停留所(奈良県生駒郡三郷町)」。
いよいよ主目的地の「信貴山」へやって来た訳ですが、こちらはもともとケーブルカーの「信貴山駅」駅舎。1983(昭和58)年8月に「東信貴鋼索線」が廃線になった後、バス待合所としていまも活用されています。

さて、古びてはいますが、地元の方々の手が行き届いているさまがよくわかる、かつての駅舎なのですが…その遺産といいましょうか、えらいものを見つけました。

それがこちら。「近鉄沿線ご案内」と銘打たれた、ケーブルカー現役時、そのままの路線図!



いや、色褪せたり、あちこち割れたりと朽ちてはいますが、40年以上前の近鉄沿線を知ることが出来る貴重なものです。
それでは、時代を感じさせられる、この路線図をじっくり拝見して行きたいと思います。

最初は、近鉄沿線外になるのですが「日生球場(大阪市中央区)」。
その南側、JRとOsaka Metro「森ノ宮駅(大阪市中央区)」から至近のところにありました。
現在は「もりのみやキューズモールBASE」となっているところですが、かつては近鉄球団が準本拠地としていた、野球場です。
名前の通り「日本生命」がレクリエーション施設としていたものですが、これは懐かしい。

そして「藤井寺球場(大阪府藤井寺市)」。
「近鉄バファローズ」の本拠地として親しまれて来ましたが、周辺が住宅密集地ということで、長年にわたりナイター設備がありませんでした。ゆえ、先ほどの「日生球場」をメインにしていたという経緯がありました。
2005(平成17)年の閉鎖後は更地にされ、跡地は私立小学校として生まれ変わりました。
数々のドラマが演じられた、猛牛軍団の舞台です。2004(平成16)年10月撮影。
「近鉄バファローズ」は1997(平成9)年に「大阪ドーム(現在の京セラドーム大阪)」へ本拠地を移転した後「大阪近鉄バファローズ」と都市名を冠するものの、球界再編を経て「オリックス・バファローズ」につながります。
昨年度はパ・リーグ優勝、おめでとうございました(^o^)
さらに「道明寺駅(同)」や「河内国分駅(かわちこくぶえき、同柏原市)」近くには「玉手山遊園地」。
開設は1908(明治41)年8月、現在の「南大阪線」の一部を建設した「河南鉄道」の手によるもので、関西では最古の部類に入る遊園地でした。現在、跡地は公園になっています。2018(平成30)年8月撮影。

かつて、たくさんの人々がケーブルカーで登って来た山頂の駅。
朽ちても令和の現在まで遺されたその駅舎。
歴史の移ろいというものは、このように少し掘り下げてみますと、実に興味深いものがあります。しかし、良いものが見られました。
次回に続きます。
今日はこんなところです。