開業100周年を迎えた「近鉄生駒線・旧東信貴鋼索線」を巡り信貴山へ その21 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

今年5月で開業から100周年を迎えた「近鉄生駒線・旧東信貴鋼索線」。


大阪・奈良府県境を成し、古くから霊峰として崇められていた「信貴山(しぎさん)」へ向かった鉄道網にまつわる歴史に触れるべく、現地を巡った訪問記をお送りしています。




ふもとの「信貴山下駅(奈良県生駒郡三郷町)」から「奈良交通バス」に乗ること20分ほど。緑深い信貴山の山道を右へ左へ、到着したのがこの「信貴山停留所(同)」です。

本題の「東信貴鋼索線」が健在の頃、その山上側の終着だった「信貴山駅」の駅舎と敷地を転用したもので、ここまで乗車したバスはケーブルカーの代替路線です。


グーグル航空地図より。
駅(印)から、輸送目的地の「信貴山朝護孫子寺(しぎさんちょうごそんしじ)」の山門(印)へは、歩いてだいたい10分ほど。


立地条件としては、山頂の「高安山駅(大阪府八尾市)」からさらにバスに乗り換えが必要な現在の信貴山参拝の主力アクセス「西信貴鋼索線」よりはるかに良いのですが…これについては、また後日項にて。近鉄ホームページより。


バスの転回スペースを兼ね備えた広い構内。
しかし、乗り場といい、それに架かる屋根といい、まるでプラットフォームのよう…ということを述べてまいりました。



実はこの停留所、本題の「東信貴鋼索線」山側の終着駅「信貴山駅(同)」の駅舎をそのまま待合室に転用しているものだとのこと。記念に発売されていた、クリアファイルより。


それでは、かつての駅舎を観察してみることにします。玄関側は、駅名標がない以外は当時とさほど変化はないようです。





朽ち果て具合がなんとも言えない雰囲気ですが腰下がレンガになっているここは、かつての出札窓口だそうです。往年はにぎわったのでしょうね。


傍らの便所は、当時のままだとのこと。


駅舎内に入ってみます。美しく整備されているのは、やはり地元の方やバス会社の方々によるものでしょうか。


ケーブルカー時代を思わせる発車案内。


ここは、電照式の案内があったのでしょうか。




内部にも、外の出札窓口同様にせり出しが残されています。蛍光灯がその真上にあるので、こちらも窓口だったのか、などと想像するのも楽しいものです。




バスが発着する側がプラットフォーム跡。駅舎に並行したコの字型の終着駅だったそうです。

ケーブルカーは、奥の緑の木々に向かって山を降っていました。


こちらは廃線跡に設備はすべて撤去されたために、タイル状の乗り場は後付けだそうです。




廃線当時の様子を色濃く残している、貴重な遺構です。これは見に来られて良かったのですがもっとすごいものを、さらに発見しました。


次回に続きます。

今日はこんなところです。