開業100周年を迎えた「近鉄生駒線・旧東信貴鋼索線」を巡り信貴山へ その18 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

今年5月で開業から100周年を迎えた「近鉄生駒線・旧東信貴鋼索線」。


大阪・奈良府県境を成し、古くから霊峰として崇められていた「信貴山(しぎさん)」へ向かった鉄道網にまつわる歴史に触れるべく、現地を巡った訪問記をお送りしています。



「生駒線(いこません)信貴山下駅(奈良県生駒郡三郷町)」に降り立ちました。

県中西部のターミナル「王寺駅(同北葛城郡王寺町)」からは「大和川」を渡ってすぐのところです。


グーグル地図より。
「三郷町(さんごうちょう)」は、信貴山を背景に、八尾や柏原といった府東部の都市と府県境を接する、県西部の緑豊かな街です。


町名を冠した「JR大和路線(関西本線)三郷駅」で「三郷町」のだいたいの場所は知っていたのですが、古くからの街の中心部はこのあたりになるのだとのこと。


さて、駅前には広々としたロータリーと、真新しいレンガ調の建物。町立図書館だそうです。


ここに停まっていたのが「奈良交通バス」。
県下のみならず周辺府県に広大な路線網を誇り鉄道ネットワークを補完する、重要な足です。飛躍する鹿のマークが昔から目印です。



ここからは、くだんの「東信貴鋼索線」を代替えしている同社の信貴山ゆきバスに乗り換えます。先ほど発ったターミナル「王寺駅」を終始発にしていて、この駅も経由してくれるものですが、次の便までは30分ほど待ち合わせ。


駅舎まわりの観察が済んだところで、バスの待ち時間を利用しまして、さらに駅から西側に延びる、生活道路を発見したのですが…


この先、これはなかなか結構な勾配です。
沿道には住宅が立ち並び、エンジンを唸らせながら自動車が行き来して行くのですが…


実は、この信貴山へ向かう生活道路が「東信貴鋼索線」の廃線跡を転用したものだというのです。


路線が現役当時の様子は、このような感じ。
ケーブルカーに沿って、生活道路が山へ登るという立地でした。廃線後は、この敷地が拡幅されたことがわかります。出典①。


しかし「ケーブルカー」というと、これ以上に「相当な急勾配を登り下りするもの」というのが、相場のように感じるのですが…出典同。


先ほど「信貴山下駅」構内にあった「東信貴鋼索線」の諸元を確認してみますと、勾配は最大217パーミル(平均125パーミル)。
(1パーミル=100m進むごとに1m登る勾配)

先ほども述べましたが、山の斜面を急角度で登って行くのがそもそも「ケーブルカー」ですが、全国的に見てもこれはだいぶ緩い勾配の部類に入るようです。


その証左に、同じく飾られていた「さよなら運転」の沿線の様子。勾配のあるケーブルカー線路に一般道路がずっと並走している光景というのは、そうそう見たことがありません。

勾配がありながらも、自動車やバスで代替え出来るこのようなそれであったということも、路線廃止の大きな要因だったようです。


それを知ってか知らずか、道路に転換されたケーブルカー廃線跡を、自動車はすいすい登って行きます。
歩こうとも思えば歩ける、登山にはほどよい?勾配具合だという、ケーブルカーがかつて通った道のりです。


あらためて位置関係を確認してみます。北が右です。
「信貴山下駅」の駅舎は、地図にあるように少々、西側へ出っ張っているのがわかります。
この部分がまさに、ケーブルカーが発着していたプラットフォームでした。


これを南側から。駅舎の出っ張った部分から、のように「東信貴鋼索線」は信貴山へ向かっていました。なるほど、見事に駅前から坂道になっています。


毎度おなじみ「フリー百科事典Wikipedia#近鉄東信貴鋼索線」より。
廃線を数日後に控えた、さよなら運転の際のショットだそうですが、やはり緩いとはいえ、勾配具合はよくわかります。「信貴山下駅」を発車、信貴山へ登ろうかというところ。


上と同じ場所から。当時の様子は存じませんが信貴山へ向かう乗客でさぞかしにぎわったであろう、小さなターミナル駅だったのでしょう。


いまでは、そのような面影はまったくない駅前でした。ところで…


この駅前には、その「東信貴鋼索線」で実際に活躍していたケーブルカーが、大切に保存されています!



廃線後は、近隣の小学校で保存されていたそうですが、整備の上で、かつて山を行き来したこの駅前に戻って来たのだとのこと。

次回に続きます。
今日はこんなところです。

(出典①「JTBキャンブックス 懐想の廃止路線40 踏破探訪 近鉄の廃線を歩く」徳田耕一著・JTBパブリッシング刊 2006年12月初版発行)