開業100周年を迎えた「近鉄生駒線・旧東信貴鋼索線」を巡り信貴山へ その17 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

今年5月で開業から100周年を迎えた「近鉄生駒線・旧東信貴鋼索線」。


大阪・奈良府県境を成し、古くから霊峰として崇められていた「信貴山(しぎさん)」へ向かった鉄道網にまつわる歴史に触れるべく、現地を巡った訪問記をお送りしています。




「生駒線(いこません)」南端の「王寺駅(奈良県北葛城郡王寺町)」からはわずか一駅。到着したのは「信貴山下駅(しぎさんしたえき、同生駒郡三郷町)」です。


グーグル地図より。
王寺からは「大和川」を渡ったばかりのところですが、所在地は川を隔てて、郡部も町も異なるのが地理的に興味深いものがあります。

大和山地に源を発し、県内中部を東西に流れて
大阪湾に流れる「大和川」ですが、このあたりは緑に囲まれた、長閑な雰囲気です。


前回の記事でも触れましたが、かつて1983(昭和58)年8月までは、ここから信貴山へ至る「東信貴鋼索線」が発着していました。

名前の通り「信貴山へ東側から登るケーブルカー」だったのですが…


改札前に、その「東信貴鋼索線」の車両で使用されていた部品類、案内パネルが展示されていました。




路線案内より。
開業は、ここまで乗車して来た「生駒線」同様の1922(大正11)年5月、ちょうど100年前。
全長は1.7km、日本では3番目に完成したものだとのこと。


日本で最初に開業した旅客用ケーブルカーは、解説にあるように、同じ奈良県内、それも至近の「生駒ケーブル(生駒鋼索線)」です。

開業は1918(大正7)年8月、現在は同じ近鉄の路線ですが、やはりもともとは別会社の「生駒鋼索鉄道」の手による開業でした。


近鉄ホームページより。
先ほど、大阪から「生駒線」に乗り込んだ「生駒駅(同生駒市)」に隣接する「鳥居前駅」を起点に「生駒山上駅(同)」へ至るものですが
途中の「宝山寺駅(同)」でさらに乗り換えるというなかなか、変わったケーブルカーです。


画像を探してみましたら、3年ほど前に家族サービスで乗車した時のショットが残っていました。主力車両はユニークで愛らしい「ミケ」「ブル」という愛称のもの。


この「生駒ケーブル」は、全国にここしかない「複線ケーブルカー」として知られています。

一般的には単線方式で、中間点で登り下りが行き違う仕組みのケーブルカーですが、これが並列なので、多客時には同時に二本ずつ、合計四本の登り下りの列車が行き交うという壮観な光景が見られるものです。




山頂に「生駒山上遊園地」があること、また、沿線の山肌にまで住宅地が開発されていることから、通勤通学の利用も多いゆえだそうです。


そして、2番目は「箱根登山ケーブルカー」。
登山電車で登った「強羅駅(神奈川県足柄下郡箱根町)」から「早雲山駅(同)」へ至り、箱根を回遊するメインルートを担う、人気の路線だそうです。開業は1921(大正10)年12月。

毎度おなじみ「フリー百科事典Wikipedia#箱根登山鉄道鋼索線」より。箱根、行きたいなぁ…


さて、展示されている、かつてのケーブルカーの貴重な部品類を拝見することにします。

急勾配の路線で車両を引っ張り推進させるのはワイヤーケーブル。近くで眺めていますと、意外にもさほど太さがないことに驚きます。


ケーブルカーの仕組みについて詳しい訳ではないのですが、一般的な鉄道とはえらい異なる、車輪の片側がこのようなローラー状だとは知りませんでした。
「平車輪(ひらしゃりん)」と言うそうです。


片方は、これは見慣れたフランジのついた車輪。「溝車輪(みぞしゃりん)」だとのこと。


なかなか、近くで見る機会がありませんので、これは興味深いものがありました。
では、改札を出ることにします。


次回に続きます。

今日はこんなところです。


(タイトル画像出典「JTBキャンブックス 懐想の廃止路線40 踏破探訪 近鉄の廃線を歩く」徳田耕一著 JTBパブリッシング刊 2006年12月初版発行)