先月はじめ、急遽頂いた連休に思い立ち、お四国の香川・高松へ「ことでん(高松琴平電気鉄道)」の沿線を巡った、久しぶりの遠出ひとり旅の様子をお送りしています。

各ホームへは、駅舎近くの構内踏切を経由して簡単にアプローチ出来たようです。
そして、現在は離れ小島になっている「志度線」直通列車はというと、高松築港方面からはこのように、スイッチバック(方向転換)をしていました。
この地図でしたら、なおのことわかりやすいでしょうか。
直通運転をするためには配線上、この駅でスイッチバックを必ず行う必要がありました。
しかし、頻発する毎列車でこれが発生する煩雑さ(短い停車時間で、運転士と車掌が入れ替わらなければならない)、他2線と平面で交差をする配線の形態も鑑みると、ダイヤの作成上でも制約が多かろうことが、想像出来ます。
そういったことと、この駅を核にした再開発事業計画を進展させるとともに、「旧国鉄→JR高徳線」と競合関係にあった「志度線」は、その高松の駅に近い「高松築港駅」までの直通を廃止せざるを得ず、瓦町乗り換えに。
さらに、他2線とは線路が繋がらないため、車両工場も完全に分離する路線になった、という経緯がありました。
それに加えて「志度線」は、急カーブが沿線に多数存在していたことから、「琴平線」「長尾線」と比べて、線路や車両の規格をひとまわり小さくしなければなりませんでした。
京急電鉄や京王電鉄から、車長が18m級で、冷房つきの高性能の車両をまとまった数で導入することで、後述のこれら2路線は、近代化やサービスの向上、車両の統一が図れました(メンテナンスの点では、同一形式の車両が揃っていた方がコストダウンになる)。
ただし、規格がひとまわり小さい「志度線」では、その京急や京王の車両を導入出来なかった(→全線で車両の共通化が困難だった)という点でも、この「志度線完全分離」を推し進める要素になったようです。
以上6枚、前回訪問時の2010年7月に撮影。
参考までに、その時系列にも触れておきます。
1994年(平成6年)
6月26日
瓦町駅改良工事着手に伴い琴平線・長尾線と分断され、孤立線となる。高松築港直通廃止。
旧4・5番線ホーム(長尾線発着用)を廃止。
7月30日
志度線ホームを現在地に移転。
琴平線・長尾線と分離。
11月20日
旧駅舎の使用を終了し、翌日始発より仮駅舎での営業となる。
役目を終えた旧駅舎は12月に解体された。
ちなみに「志度線」では京急や京王とはまったく別会社の、小型規格の車両(車長15m級)を導入したことで、近代化を図ることが出来ました。これについてはまた明日以降の項で。
(出典①「国鉄監修 交通公社の時刻表」1981年10月号 日本交通公社=JTB=発行)
(年表出典「フリー百科事典Wikipedia #高松琴平電気鉄道志度線 #瓦町駅」)
大変に興味深い、路線の変遷でした。
次回に続きます。
今日はこんなところです。