みなさんこんにちは。前回からの続きです。
先月はじめ、急遽頂いた連休に思い立ち、お四国の香川・高松へ「ことでん(高松琴平電気鉄道)」の沿線を巡った、久しぶりの遠出ひとり旅の様子をお送りしています。
ただいま「ことでん瓦町駅」。
いつものように?前置きが長くなりましたが、
ここから「志度線(しどせん)」に乗車しようかと思います。

さて、現在「志度線」の主力車両となっているのが、この「600形」という車系です。
正面向かって左側には非常用扉がオフセットされ、さらに長細い窓が組み合わされているという特徴的な外観ですが、やはりもともとは、他の鉄道会社から移籍して来たものでした。
妻面(つまめん。運転台がない側の車端部)には実に大開口した貫通路、そしてその両側には極狭の窓があります。
通常であれば、ここには仕切り扉があったりするのですが、この構造は特徴あるものです。
正面のオフセット構造もさることながら、実はこの特徴的な構造、大都市にありながら建築限界の関係で、通常よりもひとまわり車両を小型化せざるを得なかったという歴史がある、元・地下鉄の車両です。
1957(昭和32)年、日本で3番目に開業した、「名古屋市地下鉄」です。出典①。
この車両が主に活躍していたのは「東山線」。市内中心部と、東西方向の郊外を直結しており日本の地下鉄では、3本の指に入るほど旅客数が多い路線です。名古屋市交通局ホームページより。
しかし、地下鉄を建設する際に、事業費を圧縮する必要に迫られていたため、トンネルをはじめとした建築限界、ひいては車両の規格も小さくせざるを得ませんでした。
そういった事情があり、車両の全長は15m級という、中小私鉄並みの規格にされました(大手私鉄では18〜20m級、JR在来線では20m級)。
余談ですが、その「東山線」では、その影響で規格の拡大が出来ず、激しい混雑の緩和が困難になっているという現状もあるようです。
ところで、前回の記事でも触れましたが、ことでんの中でもこの「志度線」は、急カーブが連続する路線規格ゆえ、開業以来、小型の車両しか入線することが出来ませんでした。琴電志度にて。
小型車両の新製もままならず、旧型車両の置き換えも困難な状態に陥っていた中「東山線」や「名城線(めいじょうせん)」で、これら小型規格の車両の新型車両への置き換えが開始され、多数の廃車が発生することになりました。1990年代後半のことです。
車齢も比較的浅く、さらに高性能車両だということで、両者のタイミングが合致したことで、名古屋から「250形」がことでんに移籍。
結果、ことでん側では車両の近代化や、サービス向上を図ることが出来ました。
ちなみにこの「250形」という車両、南米・アルゼンチンの首都、ブエノスアイレスの地下鉄にも移籍し、活躍しています。出典②。
見た目には、大きな改造は施されておらず。
外装には、さすがに現地に合わせたロゴがあしらわれてはいますが、もともとの車体カラーだった「黄色」 はそのままだという!
これには、ちょっと感動します。
「名古屋・高松・ブエノスアイレス」と、地名の字面だけ見るとなんら関係なさそうですが、このように「車両が繋いだ縁がある」というのには、いささかロマンを感じさせられます。
それに加えて遠く移籍先でも、種車の面影が存分に残されていることにも、趣味的にはうれしいものです。
(出典①「カラーブック日本の私鉄20 名古屋市営地下鉄」大須賀廣郷・田川輝紀・小川金治著 保育社刊・発行 昭和57年11月)
(出典②「フリー百科事典Wikipedia #ブエノスアイレス地下鉄」)
次回に続きます。
今日はこんなところです。