多扉車の元祖「京阪電車5000系」ラストランへ向かって〜その42 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

 

6月に引退が決定した、日本初、さらに日本最後となった「多扉車(たとびらしゃ)」こと、朝ラッシュ時に5扉を使用していた「京阪電車5000系」についてあれこれ取り上げています。

 

シリーズを終えるに当たり、大阪から京阪沿線に沿って「5000系」が活躍していた頃のショットを最後にお送りしています。

新旧塗装が入り混じる、2010年撮影。

 

 

「萱島駅(かやしまえき、大阪府寝屋川市)」までやって来ました。

この駅の京都方には、1958(昭和33)年に開設された、広大な「寝屋川車両基地・工場」があり、大阪市内からの高架複々線は、そのままこの車両基地と工場へとつながっています。

 

 

毎年秋、こちらでは、一般開放イベント「ファミリーレールフェア」が開催されています(昨年はリモート開催でした)。


ではここで、本線から外れて、会場へちょっと寄り道してみることにしたいと思います。

 

 

訪問したのは、2010年のこと。

いちばん目立つ引き込み線に「5000系」が展示されていたのはこの年でした。 

 

 

正面からのショット。このような機会でないとなかなか拝見することが出来ないものです。 

 

 

向かって左側の窓下、車掌台側には「ひらかた大菊人形 龍馬伝」の特製ヘッドマークが。

京阪電車と言えば明治から、沿線の「ひらかたパーク」で毎年秋に、その年のNHK大河ドラマをテーマにした「大菊人形展」が有名でした。


ただ、さまざまな理由で、惜しまれながらこの催事は終了していたのですが、京阪電車が開業から100周年を迎えたことから、それを記念してこの2010年限定で復活開催がなされました。



それを告知するために掲出されたヘッドマークだったのですが、その他にも期間中には、菊人形の観客輸送目的で、坂本家の家紋をあしらった、別の特製ヘッドマークを掲げた「大菊人形臨急」も運転されるなど、なにかと話題を集めたものでした。ブログ主所有。

 

 

かつてはさらに、このような催事などにまつわるものの他にも、行き先と種別を記したヘッドマークも、行先表示器が設置される前には必ず掲出されていました。


ちなみに、京阪ではじめて、正面に自動式の行先表示器を取り付けたのは「5000系」でした。

1976(昭和51)年のことです。

 

 

ところで、その「5000系」の隣に留め置かれていた、このモスグリーン色の車両は…

 

 

こちらは「京阪ミュージアムトレイン」です。


やはりこちらも、京阪電車開業100周年を記念して運行された列車なのですが、珍しかったのが「移動式鉄道博物館」というキャッチコピーでした。 

 

 

 

廃車予定の「2600系」5両編成を用いて、車内の座席を撤去したところに、京阪電車100年のあゆみを解説したパネルを中心に、鉄道模型、鉄道部品などを多数展示するという、京阪電車でははじめての試みがなされました。


車内の様子はこちらもどうぞ↓ 


  

 

「移動巡回式」ということで、車庫から自走の上、沿線の中之島、枚方市、中書島などのホームに留め置かれて展示が行われたのですが、この年の「ファミリーレールフェア」が最後のお披露目になりました。


わたしもたびたび拝見したのですが、パネル展示もさることながら、お宝ものの鉄道部品がずらりだったので、それはそれは楽しいものでした。余談でした。 


 

本題の「5000系」に戻りまして…

あらためてまじまじと観察していますと、全体的に車体に丸みを帯びた車両が京阪には多い中で、角張った顔つきとデザインというのでも、この車系には特徴があったのだなと感じます。

 

鉄道車体の素材にアルミ合金がようやく実用化されはじめた1970年代に登場した車両ですのでまだまだ黎明期の産物であったのだなと、そのような点からも歴史を窺えたようでした。

 

次回に続きます。

今日はこんなところです。