新快速50周年!京都鉄道博物館に特別展を訪れて~その27 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

「京都鉄道博物館(京都市下京区)」での観覧記の様子を、シリーズでお送りしています。

 

 

さて、超豪華寝台特急「トワイライトエクスプレス」で実際に使用されていた、専用機関車と客車を拝見しまして…

ホームを模したプロムナードの反対側には、また別の列車が留め置かれています。 

 

 

青色に、白帯がアクセントの特徴ある塗装。

言うまでもない、かつては全国各地で夜行列車の主役を務めた「ブルートレイン」です。 

 

 

 

解説には「オロネ24形」とあります。

1973(昭和48)年製造、最終所属は「JR東日本 秋田総合車両所」。「寝台特急 日本海」や「あけぼの」などで活躍したものだとのこと。 

 

 

 

旅情を掻き立てられる、オルゴールの車内チャイムと放送装置が置かれた、車掌室の内部が興味深いです。


 

「JTB時刻表 2011年3月号」より。

 

ところで、この車両を使用して運行されていた「寝台特急 日本海」について拾ってみます。 

 運行区間は「大阪〜青森間」、走行距離は1000km超、所要時間は実に約15時間あまりという、国内有数の長距離列車でした。

 

 

列車名になっているように「日本海縦貫線」と呼ばれる、複数の幹線を結節して走り、近畿・北陸・新潟・日本海側の東北3県とを直結するという特徴がありました。



ただし、長距離列車にも関わらず、2012(平成24)年の定期運行廃止直前には食堂車は存在せず、車内販売はあったものの、ごく一部区間のみでの営業であったとのこと。

しかし、特に東北の日本海側3県からは、鉄道では京阪神へ直通する唯一の交通手段だったことから、一定の用務客や、シーズンには修学旅行生の利用もあったそうです。

 

 

歴史も古いこの列車ですが、多くの一般客が利用する「B寝台」の他にも、上級の「A寝台」が連結されていました。  

 

 

それが、こちらで展示されている車両。

昼間は、向かい合わせ四人がけの固定式シートが中央の通路沿いに展開しているのですが… 

 

 

夜に差し掛かりますと、専門の業者によって、寝台がセッティングされます。 

 

 

固定式座席の背ずりを引き出し、寝台を作るというもの。外から眺める限りでは、幅も長さもゆったりとしています。

うまく考えられたものです。

 

 

 

ところで、客室側面の大窓の上には、小さな覗き穴があります。これはなにかと言うと… 

 

 

「上段寝台」がある部分でした。 

こちらも、下段のそれと比べても、意外にゆったりとしています。

 

 

「寝台車」を利用するには、乗車券・特急券の他にも別途「寝台券」が必要なものでした。

 

時刻表の巻末から拾って来ますと、この「A寝台」の「上段」は9540円。「下段」は10.500円もします。 

揺れが少なく、なおかつ、寝台内の縦のスペースが大きくて広いことが理由だと思われます。

ちなみに、それより格が下がる「B寝台」では上・下段ともに6300円。

 

しかし、いずれにしても、そこそこのホテルで一泊出来るくらいの料金ですが、それに対して「A寝台」といえども、個室でもない設備はかなり陳腐化していたことは否めません。

そのあたりが、晩年に利用客の低下が著しくなっていた一因のようです。

 

 

さて、この時刻表からはさらに気になる特記を発見。青森ゆきの便では、途中の「東能代駅(ひがしのしろえき、秋田県能代市)」から、終点の「青森駅」までは「B寝台は立席特急券(りっせきとっきゅうけん)で乗車できます」とのただし書きが。

 

これについては、毎度おなじみ「Wikipedia#特別急行券」より。

 

この特急券は、「乗車する列車・区間が指定された自由席特急券」という位置づけである。

座席の指定を受けないという点では自由席特急券と同じであるが、異なるところは乗車する列車が指定されている点にある。

自由席特急券では有効の期間・区間内であれば一回に限りどの列車の自由席に乗ってもよいとされているため、この立席特急券は指定席特急券の一種として扱われている。

 

なお、かつて運行されていた寝台特急でも、B寝台の一部を座席車として利用できる区間を設けていたものがあった(ただし利用できる号車、発売席数は限定された)。

また、大阪行き「日本海」のように座席指定席扱いとした区間もあったが、ほとんどの寝台特急では自由席扱い(立席)としていた。

 

 

とあるように、「立席」とはしているものの、実際に(寝台を解体した後の)座席が満席になるということはそうそうなかったようなので、

「寝台を解体した後のB寝台座席の空いている場所に自由に座れる」というのが実情でした。 

 

 

ただ、大阪ゆきの便については「立席特急券」ではなく「青森〜秋田間では指定席特急券での使用が可能」と、上下で扱いが異なっていたのが特徴でした。

 

これは「寝台を解体してもうすぐ終着駅に到着する列車」と「始発駅を出たばかりでこれから寝台をセットする列車」の違いだったのでしょうか。興味深い事例です。

また、この特殊な制度が導入された理由は、いずれも、同じ区間を走る特急列車が運行されているものの、時間帯が遅いために列車の設定の関係で、寝台特急の枠を活用した、という意味合いも強かったようです。

 

ただし、寝台特急自体が風前の灯となったいま「立席特急券」の定義とは…

東北新幹線「はやぶさ」・「こまち」など一部の全車座席指定制列車では、自由席特急券もしくは特定特急券に相当する額で座席指定を受けない条件で利用することができる立席特急券を発行する場合がある。(出典同)

 

と、自由席のない全席指定の新幹線に乗車する際の、いわば「救済措置」という意味合いを連想させるものに変わってしまいました。

時代の流れやなあと感じます。

 

次回に続きます。

今日はこんなところです。