新快速50周年!京都鉄道博物館に特別展を訪れて~その22 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

 

10月でデビューから50年を迎えた、JR西日本の看板列車「新快速」、その歴史をひもといた、特別展が行われている「京都鉄道博物館(京都市下京区)」の展示を拝見しています。

 

 

 

さて、展示の最後はこちらに立ち寄りました。

さまざまなヘッドマーク類がたくさんです。  

 

 

ヘッドマークもさることながら、この行先表示器が目立ちます。目の前で見ると、結構な大きさのように感じます。 

 

 

奥に置かれている、一際大きいサイズのもの…先ほどの「117系」の先頭部分に取り付けられているものでした。 

 

終着駅に到着して、折り返し待ちをしている時に、幕がくるくると回るものですが、想像もつかない(とんでもない?)コマが入っていたりするので、いまでも楽しい光景ではあります。

 

 

メインのヘッドマークはと言うと、奈良方面から大阪環状線に乗り入れしている「大和路快速」のそれもありました。いや懐かしいです。 

 

 

こちらは「新快速」。しかし、今回取り上げている京阪神間を走るものではないとのこと。 

実はこれ、大阪と和歌山を結ぶ「阪和線(はんわせん)」でかつて設定されていた「新快速」で使用されていたものだそうです。 

 

これについては、毎度おなじみ「Wikipedia#新快速」と、「国鉄監修 交通公社の時刻表 1972年3月号」より。

 

 

国鉄時代の1972年(昭和47年)から1978年(昭和53年)まで、阪和線でも新快速が運行されていた。(中略)

1972年3月15日のダイヤ改正で天王寺駅 - 和歌山駅間に設定された。途中停車駅は鳳駅のみで、所要時間45 - 51分で阪和間を結んだ。

最速列車の所要時間は前身の阪和電気鉄道が設定していた超特急以来のものである。

日中の9時台から15時台に1時間間隔で運行していた。

 

 

車両は、それまで東海道・山陽本線の快速・新快速に使用していた113系が、このダイヤ改正で東海道・山陽本線に登場した153系「ブルーライナー」と全く同じ専用のカラーリング(灰色9号地色に青22号特帯色)に塗装を変更して投入された。

新造車両ではなかったものの阪和線では初めての冷房付きの車両で、いわゆる旧形国電中心だった阪和線の中では一際目立つ存在だった。円形に羽根を付けたデザインの専用ヘッドマークも新調の上装着された。(中略)

 

路線途中の主要駅「鳳駅(おおとりえき、堺市西区)」のみの停車で阪和間を最速45分と、同じ区間を走る「特急 くろしお号」と比しても、結構な快速ぶりです(ただしこの当時、和歌山から先の紀勢本線は非電化だったので、直通する「くろしお」はスピードで電車より格が落ちるディーゼル特急だった)。

 

 

Wikiの解説にもありましたが、現在の「阪和線」は、昭和初期に京阪電車が中心になり建設された「阪和電気鉄道」という一私鉄でした。

 

 

「阪和天王寺駅(大阪市天王寺区)」を起点に「東和歌山駅(和歌山市。現在のJR和歌山駅)」へ至る、全長60km超の路線を有していました。

 

 

 

明治期に、古くからの街道筋を経由して、海沿いに路線が敷かれた「南海本線」(青い矢印)に対して、山側の人口過疎地に直線主体の、当時としては破格の規格で「阪和電気鉄道」は建設されました。

 

そういったことで、南海と阪和は戦前、乗客の激しいシェア争いをしていたのですが、紆余曲折を経て、終戦直前に阪和電鉄は旧国鉄に合併され「阪和線」となりました。

戦後25年以上経過しての「新快速」設定は、その激しいライバル関係の復活さながらだったように感じられます。しかしながら… 

 

阪和電鉄以来の速達運転を実現した新快速だったが、元々阪和間の直通需要は京阪神間に比べると規模が小さく、利用は限られていた。このため、1977年(昭和52年)には和泉砂川駅と熊取駅を停車駅に追加し、所要時間は48 - 51分になった。

しかし、大きく利用状況は改善せず、紀勢本線が電化された1978年10月2日のダイヤ改正で快速に統合される形で廃止された。(後略) 

 

 

とありました。

停車駅を絞ったスピード重視を全面に出すよりも、沿線利用客のニーズに合わせたと言ったところでしょうか。

 

 

「阪和線」には和歌山から先へ直通する特急、急行列車の設定もありましたから、両都市間の高速輸送の役割は、別料金が必要ではあるものの、そちらに委ねられたのかも知れません。

(「113系」の写真は「日本の鉄道8近畿 関西・紀勢本線」写真 井上広和・解説 ジェイ・アール・アール 発行 山と渓谷社 1983年11月より) 

 

 

さて、本題に戻りまして、平成に入ってからの「新快速」は… 

 

 

1995(平成7)年に、現在も主力車両の「223系」が登場。 

 

 

そして、最新型車両としてこの「225系」が2010(平成22)年にデビューしました。 

その5年前、2005(平成17)年4月に発生した「JR福知山線脱線事故」を契機に、安全性を重視した、まったくあたらしいコンセプトで製造された車両でもあります。

 

 

同じ顔つきの「225系」と言いますと、「大阪環状線」に直通する、「関空・紀州路快速」で運用されているこちらも同じものです。

ただし、運用や内外装などがまったく異なるので、形式番台は別の扱いになっています。 

 

 

ところで、訪問した際には、国鉄時代にはじめての「新快速専用車両」として登場した「117系」車両の、特別展示が行われていました。 

 

最初に投入された編成のうちで、さらにトップナンバーを含むものだとのこと。その展示を目当てに、この時期に訪れたのですが…

続いては、それを拝見したいと思います。

 

 

2階の展示室から1階へ。実はこちらにも、気になる車両展示がたくさんありまして…

 

 

貨物列車専用機関車として製造されたものの、後年にはブルートレイン列車に多用された「EF66型電機機関車」。床下が嵩上げされて、通路からその様子を観察出来るという、ここでしか体験出来ないものがあったりします。

 

 

というと、切りがありませんので(苦笑) 

その奥に、緑色の「117系」が鎮座していました。さっそく、そちらへ向かいます。

 

次回に続きます。

今日はこんなところです。