みなさんこんにちは。前回からの続きです。
10月でデビューから50年を迎えた、JR西日本の看板列車「新快速」、その歴史をひもといた、特別展が行われている「京都鉄道博物館(京都市下京区)」を訪れた際の様子をお送りしています。
さて、特別展が行われている2階展示室にやって来ました。
もともとは、駅の業務を体験出来るというコーナーだということで、改札やホームでよく見かける発車案内標があったりします。
それでは、目的の「新快速50周年」の展示を拝見して行きたいと思います。
1970(昭和45)年10月1日。
デビュー当時の運行区間は「京都~西明石(兵庫県明石市)」ということで、福井・滋賀に至るほどの、現在の広域なものとはだいぶ異なります。さらに、当初はデータイムのみ、1日6往復のみの設定だったとのこと。
戦前から「私鉄王国」と呼ばれた関西にあって、京阪・阪神・阪急といったライバル私鉄を意識した、京阪神間の高速運行を目指すことが理由としてあったようです。
ところで、同じ会場内には…新快速が登場した、1970(昭和45)年に開催された「日本万国博覧会(大阪万博)」にまつわる品々も展示されているではないですか。
大阪・千里丘陵一帯を切り拓いて会場とし、「アジア初の万国博覧会」として、9月末までの半年間に6000万人を超える入場客数を数えた、国家的なイベントだったのは言うまでもありません。
この大イベントに全国から押し寄せる、多くの観光客を輸送するために、当時の国鉄は総力を挙げて対応に当たりました。
殊に知られるのが「東海道新幹線」で、開催に合わせてすべての列車を現在と同じ16両編成に増結したり、臨時列車も多数運行するなどしていました。
大阪市内から会場へのアクセスには、「地下鉄御堂筋線・北大阪急行」と「地下鉄堺筋線・阪急千里線」の2ルートが主なものだったのですが、国鉄としては会場の最寄りだった「茨木駅(いばらきえき、大阪府茨木市)」をアクセスの拠点に位置付け、在来線の特急列車を臨時停車させるとともに、バスでのピストン輸送を行っていました。
そんな中、拠点に位置付けた「茨木駅」へ向かう、万博観光客専用の臨時列車を、大阪の東西から運行させました。
それが「快速万博号」と呼ばれるもので、東からは「河瀬駅(滋賀県彦根市)」、西からは「姫路駅(兵庫県姫路市)」から、1日3往復の設定だったと言います。これが「新快速のはじまりのきっかけ」のひとつだというのですが…
次回に続きます。
今日はこんなところです。