みなさんこんにちは。前回からの続きです。
10月でデビューから50年を迎えた、JR西日本の看板列車「新快速」。
その50年の歴史をひもといた、特別展が行われている「京都鉄道博物館(京都市下京区)」を訪れた際の様子をお送りしています。
鉄道博物館へ向かう道すがら、ここは「京阪電車 七条駅(同東山区)」。
直通バスが発車するまで、駅の周辺をぶらぶらとしています。
駅の大阪方面への出入り口すぐのマクドには、若い頃にはよくお世話になりました(笑)
先日の記事でも触れましたが、ここは手前から奥に「川端通り(かわばたどおり)」、左右に「七条通り」が交差するというところです。
ところで…
これをほぼ同じ場所から。
現在は「川端通り」がある場所には、1987(昭和62)年5月まで、京阪電車が鴨川沿いに地上を走っていました。「七条大橋」のたもとには「七条駅」があり、電車を降りればすぐ通りに出られるという、実に便利なものでした。
京阪が地下に潜った後、地上線跡は「川端通り」が新設され、市内の交通網の充実が図られるに至ったとのこと。
地上線がなくなったのは自分が小学生の頃でしたが、川沿いの光景はいまでもはっきりと覚えているほど、情緒のあるものでした。
(出典「車両発達史シリーズ1 京阪電気鉄道」 藤井信夫編・関西鉄道研究会発行 平成3年2月 より)
さて、駅前に戻りまして…目の前の「七条通り」には、じゃんじゃん市バスがやって来ます。この光景も、京都へ来たんやなあと感じるものです。
「京都市交通局」ホームページより。「七条駅」最寄りの市バス停留所は「七条京阪前」です。
さらに拡大。市内でも交通量の多い方の「七条通り」ということと、「京都駅」が至近距離ということもあり、多数の系統がここを経由していることがわかります。
ですが、先ほどの駅の地下出入り口付近には、その停留所の姿が見当らないのですが…
停留所は、この「七条通り」を東へ少し入ったところ、商店街沿いに設けられています。
ちょっと行ってみたいと思います。
交差点から100mくらいほど歩いたところだったでしょうか、「七条京阪前」停留所を発見。
グーグル地図より。赤い☆あたり、お酒やさんのファミマの真ん前という、それはそれで?利便性の高いところです。
やはり、たくさんのバスがやって来ることがよくわかります。趣味的には見ているだけでも楽しいものですが…
行先は「京都駅」が主ですが、これから向かおうとする「鉄道博物館」や、同じ「梅小路公園」内にある「京都水族館」を経由するものも多く、バス待ちの人々も、引きも切らずという感じを受けます。
「京阪電車からJR京都駅方面」へは、昔も今もここは交通の要衝なのだなと感じます。
ところでこの停留所。「七条京阪前」と表記するものの、読み方はずっと昔から「ななじょうけいはんまえ」です。
京阪電車は「しちじょうえき」なので、これも京都ならではの特徴でしょうか。
ところで、「京都市内中心部の交差点の名称」と言いますと、碁盤の目状に交わる通りの名前を重ねて呼称することが知られています。例えば…
ここから一駅北へ行った「清水五条駅」、義経と弁慶で有名な「五条大橋」を渡ったそれは、南北の「河原町通り」と東西の「五条通り」が交差するので「河原町五条(かわらまちごじょう)」交差点。
京都御所に近い、「地下鉄烏丸線」が通る「烏丸通り」と「丸太町通り」が交差するのは「烏丸丸太町(からすままるたまち)」交差点。
そして、先日散策した「出町柳駅(同左京区)」近く、南北に「河原町通り」と東西に「今出川通り」では「河原町今出川(かわらまちいまでがわ)」交差点、というように、地元の人々のみならず、地理不案内な観光客にも、通りの位置を知っていれば、だいたいの場所がわかるという大変便利なものです。ところが…
ここは南北に「川端通り」と、東西に「七条通り」なので、その例に当てはめると「川端七条(かわばたしちじょう)」と呼ばれるはず、ですが、交差点の名称は「七条大橋」です。これはどうして?と思うのですが…
「川端通り」自体が、先ほど触れたように、もともとは京阪電車が走っていた線路跡を活用して、昭和の末から平成初期に建設されたものなので、そう呼称されることがない、歴史が浅いということがあるでしょうか。
それ以上に、京阪が地上時代から、このあたりは「七条京阪」と呼ばれていたことも、停留所や交差点の名称に関係がありそうです。
ですが、「地上時代の京阪電車」を「通り」と見立てると、南北が「京阪」、東西が「七条通り」なので、そうなるとこの交差点は「七条京阪」となります。そう考えると、呼称の法則にも当てはまりますね。興味深いものだと感じます。
ちなみに、ここから北の「五条駅」「四条駅」「三条駅」周辺でも、同様の呼称がなされています。
次回に続きます。
今日はこんなところです。