みなさんこんにちは。前回からの続きです。
「寺社仏閣と御朱印を巡る」と題して、先月末に「野崎観音慈眼寺(のざきかんのん じげんじ)」を訪れた際の様子をお送りしています。
大阪の東のターミナル「京橋駅(大阪市都島区)」から、府の北東部へ向けて延びる「JR学研都市線」で15分ほど。
今回の目的地「野崎観音慈眼寺」の最寄り駅、「野崎駅(大阪府大東市)」に到着したところです。
真新しい駅舎は、今年2月に供用が開始されたばかりだということもあり、まだ付帯工事が行われていました。
さて、駅前には、江戸時代から大阪の人々に人気を博した「野崎参り」の様子が窺える壁画があったりします。
「野崎参り」とは、「大阪の市中から屋形船に乗って観音様へお参りする」という当時の一大レジャーだったそうですが、その情景については、また後日の項で掘り下げたいと思います。
訪問した際と同じ頃、満開の桜でいっぱいですね。見ているだけでもわくわくします。
ところで、5年前(2015年)に下車した際のショットが残っていました。
前回の記事でも触れましたが、周辺に大学や高校があることから、学生さんでにぎわっているという光景が見られるのですが…
そういえばかつての駅舎、下りホーム(大阪方面)に設けられていた自動改札の隣には、シャッターで閉じられた区画があったことを思い出します(赤い□)。
毎年、5月上旬に「野崎まいり」というイベントが行われ、参道には多数の出店が立ち並び、観音境内でも、無縁仏の人々への法要行事が行われるなど、多数の参拝客が訪れることから、これを臨時の改札として使用していたものでした(10年ほど前まではその期間中、「快速列車」も臨時停車するほどでした)。余談でした。
さて、さっそく参道へと向かいます。
駅前の案内板で確認しますと、観音までは割とまっすぐです。歩いて10分ほどでしょうか。
こちらが「野崎参道商店街」。
個人商店や大型スーパー、学習塾やクリニックなどが並ぶ、ごくごく普通の商店街ですが、先ほど述べた「野崎まいり」の際には、ここにたくさんの屋台や出店が立ち並びます。
その時期に来たかったなとも思いますが、今年は緊急事態宣言も出てるし、あかんのかなあ…とも考えてしまいます。
その商店街を抜けたところに「野崎」交差点があります。交わるのは「国道170号(旧道)」です。
交通量に比して、片側2車線の狭い道路です。
「東高野街道(ひがしこうやかいどう)」と呼ばれる道路で、その名称の通り「世界遺産・高野山」(和歌山県高野町)へ至る、主要な街道として古くから利用されて来たものです。
大阪府ホームページより、「東高野街道」と、それに交わる当時の街道筋の様子。
大阪平野一帯では河川の付け替えなどがなされておらず、現在とはかなり地理の様相が異なります(現在地は赤い☆あたり)。
おそらくは江戸初期から中期あたりのものでしょうか。
この街道の北の突き当たりでは、大阪と京都を結んでいた「京街道」に接続していて、京へたどり着くことが出来ました。
そういったことで、古くは平安時代から、この街道を利用して皇族の人々や時の権力者の「高野山詣で」でたいそうにぎわったと言います。
その途中にここ「野崎」を経由しますので、古くから「野崎参り」も盛んだったこともわかります。
これを越えますと、観音様の居られる「飯盛山(いいもりやま)」の姿がさらに近づきます。
次回に続きます。
今日はこんなところです。