みなさんこんにちは。前回からの続きです。
元日に、家族で「石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう、京都府八幡市)」へ初詣にお参りをした際の様子を、「寺社仏閣と御朱印を巡る」シリーズとしましてお送りしています。
さて、無事にお参りをして来ました。
私事ですが、今年はついに本厄に当たってしまいましたので、普段はやらないご祈祷をして貰い、お神矢を頂いて来ました。
なにごともなければ良いのですが。
ただ、おみくじは「大吉」でした!なので、きっと大丈夫やろうと言い聞かせます(苦笑)
同行の女子三人も良い運勢だったので、ほっとした次第です。
さて、参拝の後には御朱印を頂くことにしています。さすがに元旦、たくさんの人でした。
まず頂いたのは、こちらの「八幡大神(はちまんおおかみ、八幡神とも)」の御朱印(志納 300円)。
「八幡大神」とは、この八幡宮の祭神です。
毎度おなじみ「Wikipedia#八幡神」を見てみますと…
八幡神(やはたのかみ、はちまんしん。八幡大神)は、日本で信仰される神で、清和源氏、桓武平氏など全国の武家から武運の神(武神)「弓矢八幡」として崇敬を集めた。
誉田別命(ほんだわけのみこと)とも呼ばれ、「応神天皇(注釈:おうじんてんのう。仲哀天皇9-応神天皇41。第15代天皇)」と同一とされる。また早くから神仏習合(注釈:しんぶつしゅうごう。日本古来の神道と、外来の仏教とを合わせた信仰形態。明治の「国家神道」の流れが出来るまで続いたもの)がなり、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)と称され、神社内に神宮寺が作られた。(後略)
とあります。
そういえば、祭神になっている「応神天皇」と言いますと…
先日、お参りして来た「御香宮神社(ごこうくうじんじゃ、京都市伏見区)」の祭神、「神功皇后(じんくこうごう、成務天皇40-神功皇后69)」の実子に当たります(「神功皇后」もこの八幡宮でお祀りされています)。
「神功皇后」は、お腹に後の「応神天皇」を宿したまま「三韓征伐(さんかんせいばつ)」などの功績を挙げるなど、古来から尊崇されて来た人物ですが、互いに距離も近いお社と八幡宮、なにか由縁を感じさせられます。
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当ブログ
寺社仏閣と御朱印を巡る その3~「御香宮神社」④(京都市伏見区)(2019年12月30日アップ)
https://ameblo.jp/kyle-of-lochalsh/entry-12561631742.html
ところでこの頂いた御朱印、よくよく観察してみますと…
「八」の字が「鳩」になっています。
前回の記事でも触れましたが、このお宮では「鳩」は「神様のお遣い」として崇められています。
そういったことで、なんとリクエストすれば「八」の字を「神勅の鳩」にして貰うことが出来るというものです(神職の方々はみなさんこれをしたためることが出来るそうです)。これはちょっと、ありがたくうれしいものだと感じます。
したためられるところを目の前で拝見していたのですが、実に見事な筆さばきをされているのに感動した次第です。
他にも、この八幡宮にまつわる御朱印を頂くことが出来ました。
こちらは「武内社(たけうちしゃ)」(同)。
頂いた解説を読みますと「摂社(せっしゃ)」というくだりがあります。
「別宮(べつぐう)」とも呼ばれるものですが、本社と同じ敷地内にある、別のお社のことを指すものだそうです。
こちらは、本殿の中にあるお社だとのこと。
いまひとつは「石清水社(いわしみずしゃ)」(同)。
こちらもやはり、本社から見て「摂社」に当たるお社だとのことですが、本社が九州から勧進される以前からある歴史の古いものだとのこと。
山上にある本殿に対し、山の中腹に位置していて、近くで豊富に湧き出す清麗な泉があることから、八幡宮全体に「石清水」という社名の由来になったそうです。
ところで、 解説には「松花堂昭乗(しょうかどう しょうじょう、1582-1639。僧侶、家人、書家などとして知られる)」の名があります。
慶長年間(16世紀末頃から17世紀初め)、この八幡宮の僧侶(この時代は寺院管理がされていた)だった人物だそうですが、どこかで聞いたことのあるような苗字です。
そうでした、「松花堂弁当」の由来になった人物だとされています。
もっとも、この人が普段使用していた小物入れがそのきっかけだそうで、昭和になり、別の人物がそれを食器にイメージチェンジさせて、「松花堂弁当」にさせたとのこと。
朱印の端っこに瓢箪、印象に残りますが、そういえば「松花堂弁当」には瓢箪の形をしたご飯や、醤油入れなんかがありますね。
これつながりだったのでしょうか。
次回に続きます。
今日はこんなところです。