寺社仏閣と御朱印を巡る~その4 石清水八幡宮(京都府八幡市)2020年初詣編③ | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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みなさんこんにちは。前回からの続きです。

 

 

元日に、家族で「石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう、京都府八幡市)」へ初詣にお参りをした際の様子を、「寺社仏閣と御朱印を巡る」シリーズとしましてお送りしています。 

 

 

さて、これから境内に入ろうかというところです。「令和二年 初詣」の文字が目に留まります。

 

 

こちらは「南総門」と言われる門ですが、毎年見上げますと味わいのあるものです。

 

 

その先には「本殿」が鎮座しています。

 

右手前の敷石が、その「南総門」からの順路に当たるのですが、本殿に対して少し斜めに配されているのがわかります。

一説によると、本殿に参拝した後、くるりと身を翻してお尻を本殿に向けるのが失礼に当たるので、このような斜めの配置になっているのだとのこと。なるほど…

 

 

まだまだ小さい次女が居るので、わたしも迷子にならぬように本殿前に並びます。

しかし、毎年すごい人出だなと感じますが、今年はこれでも例年よりは少ないように感じます。時間帯もあったのでしょうか。

 

 

ここで、お参りをするまでに、本殿の様子を観察してみたいと思います。

こちらの「初詣」の時期では、この巨大な矢が実に印象的なものです。

 

 

社殿上の瓦には「十六弁」の菊紋があしらわれています。「八幡宮」ですので、もちろん「皇室のシンボル」です。

 

 

そして、このお宮で特徴的なのはこの「鳩」でしょうか。

「神様のお遣い」として、古来から尊崇されて来たものなので、「鳩みくじ」や「鳩お守り」など、それにちなんだ授与品も多いのですが…

 

 

この「石清水八幡宮」のふもとを走る「京阪電車」の「特急」シンボルマークとして親しまれている「鳩マーク」は、こちらのお宮の「神勅の鳩」をイメージしたものとしても知られています。

 

鳩をデザインした京阪特急のシンボルマーク(以下、鳩マーク)は公募で選出されたもの(昭和27年7月)で、沿線にある石清水八幡宮で鳩が神勅の使いとされていることがその由来とされる。

「鳩マーク」は”京阪特急の象徴”であると共に、旅客に特急列車であることを容易に認識させる役割を担い掲出される。

(「Wikipedia#京阪特急」より)

 

 

ということで、最新型のデジタルサイネージが用いられている「3000系」という車両でも、このように伝統の「鳩マーク」があしらわれています。

登場から60年あまりを経ても、いまなお「京阪特急」のシンボルマークです。

ちなみに、この形式のそれでは「飛び立つ鳩」を再現した動画まで流せるようになっているほどです。

 

 

それでは、この八幡宮については…

先日、訪問した「御香宮神社(ごこくくうじんじゃ、京都市伏見区)」の記事でも取り上げました、こちらの「各駅停車全国歴史散歩27 京都府」(森博著・河出書房新社刊 昭和53年11月初版 絶版)から拾ってみます。

 

 

八幡信仰の中心

八幡市

淀駅をすぎて、宇治川と木津川の鉄橋をわたると、八幡市駅。石清水(いわしみず)八幡宮へのケーブルカーが接続する。

五分で頂上の男山駅につく。標高は一四三㍍。すぐ下が、宇治、木津、桂川の三川合流点で、ここから下流が淀川である。(後略)

 

 

石清水臨時祭

  石清水八幡宮は、貞観二年(八六〇)に奈良大安寺(注釈:だいあんじ。奈良市中心部に近い、奈良時代に創建された高野山真言宗の寺院)の僧が、九州の宇佐八幡宮(注釈:うさはちまんぐう。大分県宇佐市にある、創建が古墳時代にまでさかのぼる全国の八幡宮の総本社)を勧進して護国寺と称したのがはじまりとされている。

 朝廷の尊崇をうけ、伊勢神宮につぐ大社として保護した。

 源氏が、この神を氏神としたことから、武神として長く信仰をあつめ、八幡信仰は全国に広まっていった。

  明治の神仏分離で、神宮となったが、徳川時代までは寺僧によって管理されていた。いま九月一五日に行われている石清水祭は、もとは仏法の放生会(注釈:ほうじょうえ。仏教思想である『殺生戒(せっしょうかい)』に基づいて、鳥獣や魚を自然に放つ儀式)として行われていたもの。祭りの細部に、その名残もみられる。(後略)

 

 

優雅な社殿

  現在の社殿は、三代将軍家光の寄進で、寛永一一年(一六三四)の造営。

中央に楼門を置いた回廊が左右にのび、その奥、すかしべいのなかに八幡宮の外殿と本殿が前後にならぶ。

北野天満宮と同じく、ふたつの切妻の社殿を前後にならべ、屋根の間に雨どいをつけて、合いの間をつくる。

  寺院では、手前が外陣、奥が内陣にあたる。すかしべいの彫刻も上品で、社殿全体が丹青で美しく、優雅なふんいきである。

 

 

 

 

境内には石どうろうが多い。室町時代から徳川時代にかけて奉納されたもので、社運の隆盛のほどを知ることができる。

(後略、出典同 P192-193)

 

 

先ほども触れましたが、先日、その「御香宮神社」にお参りした記事をお送りしたのですが、そこからさほど距離の離れていないこのお宮でも、社殿の寄進や改築など、徳川幕府の手厚い保護と信仰があったようです。

位置的に京からは「裏鬼門(南西)」、大坂からは「鬼門(北東)」に当たるので、それらからの「守護神」としての役割もあったことも大きかったのかも知れません。

 

ちなみに、本殿を含む本社の10棟は近年になって「国宝」に、その他の建造物の多くも「重要文化財」に指定されています。

 

次回に続きます。

今日はこんなところです。