大津市歴史博物館 ミニ企画展「江若鉄道-思い出の品々-」展を見に行く その8 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

先日まで「大津市歴史博物館(滋賀県大津市)」で開催されていた、「江若鉄道(こうじゃくてつどう)-思い出の品々-」展を拝見しに行った際の様子をお送りしています。

 

 

 

数々の展示を感心しながら拝見していたのですが、最後に拝見したのはこちらでした。 

 

 

昭和44(1969)年11月の路線全線廃止から、今年でちょうど半世紀。

ローカルな雰囲気だった沿線も、京都・大阪方面へのベッドタウンとして開発が進み、いまやすっかり様変わりしたようですが、50年という長い時間を経過しても、かつて「江若鉄道」が走り抜けていた痕跡が、いまなお現存しているものもあるのだとのこと。 

 

 

 

意外にというか、橋脚を支えていた橋台、また築堤(盛り土)と言ったものが沿線にはまだまだ遺されているようです。

その「廃線跡」を探索された、当時と現在との比較をした研究の展示がなされていました。

これは、趣味的には興味深いものです。

 

 

江若鉄道各駅の当時と現在との比較記事もありました。

こちらは北の始発駅だった「近江今津駅(おうみいまづえき、同高島市。当時は同高島郡高島町)」、周辺はすっかり様変わりしていますが、その傍らに沿線ではかつての駅舎が唯一遺されているということで、保存の動きもあるようです。

 

 

さらに路線を南へ。

こちらの「水尾駅(みづおえき、同)」跡ではまだまだ現在でものんびりとした風景。

路盤は「湖西線」に流用されていて、高架橋が延々と続く眺めですが、当時とはあまり変わった様子はなさそうです。

 

 

続いて「近江舞子南口駅(おうみまいこみなみぐちえき、同大津市。当時は同滋賀郡志賀町)」

沿線で最大の水泳場で、夏場は人気を博した「近江舞子水泳場」の最寄り駅だったそうです。

このあたり、現在でも湖畔に行けば往年の面影を感じることの出来るところです。 

 

 

「江若鉄道」、そして後進の「湖西線」が走るこの周辺では、びわ湖を背景にした自然豊かな風景にいささかも変わりはありません。 

 

 

南へ下りまして、徐々に大津の市街地に入って来た「叡山駅(えいざんえき、同)」でも、当時、駅の傍にあった倉庫が遺されています。

このあたりまで来ますと、廃線跡はだいぶ姿を消しているようですが… 

 

 

前回、取り上げました「三井寺下駅(みいでらしたえき、同)」から「浜大津駅(はまおおつえき、同)」までの間は、遊歩道に転用されています。当時の面影を少し感じることの出来る区間のようです。

 

 

そして、南の始発駅だった「浜大津駅」

「江若鉄道」としては、この駅が始発・終着駅だったのですが、線路はさらに南へ延びていて並行していた「京阪電車 石山坂本線」に合流、「京阪膳所駅(けいはんぜぜえき、同)」に隣接していた「旧国鉄東海道本線 膳所駅」の構内へと、貨物列車を運行させるため線路がつながっていました。

 

解説や当時の写真にもありますが「江若鉄道・旧国鉄」は軌道幅が「1,067mm(狭軌)」、「京阪」は「1,435mm(標準軌)」ということで、この先の「浜大津~膳所」間は、双方の列車が走れるように「3本レール区間」になっていたということも特筆されることでした。

 

 

詳細なレポートについては、ホームページで公開されているとのこと。

「びわ湖鉄道歴史研究会」さんのQRコードを貼っておきます。

 

次回に続きます。

今日はこんなところです。