みなさんこんにちは。前回からの続きです。
先日まで「大津市歴史博物館(滋賀県大津市)」で開催されていた、「江若鉄道(こうじゃくてつどう)-思い出の品々-」展を拝見しに行った際の様子をお送りしています。
さっそく、館内の展示を拝見して行きたいと思います。普段は「撮影禁止」ということですが、こちらの「江若鉄道」に関するものに関しては撮影OKとのこと。ですので、このようにみなさまへお送りすることが出来ます(^_^)
では、今回のテーマになっている「江若鉄道」について、展示されていた当時の路線図から振り返ってみます。
起点は「浜大津駅(はまおおつえき、同)」。 山あいにある「国鉄→JR大津駅」からは市街地側、びわ湖湖畔の「浜大津港」に隣接している
場所にあり、古くから大津の中心地として交通の要衝でした。
京都・三条からの「京阪電車 京津線(けいしんせん)」や、大津の市内電車「石山坂本線(いしやまさかもとせん)」の「浜大津駅」とも連絡しており、各方面へのバスも多数発着するなど、活況を呈した歴史があります。
(出典 「京阪電気鉄道 創業50周年記念誌 鉄路五十年」 昭和35年12月発行 京阪電気鉄道株式会社 史料編纂委員会編・京阪電気鉄道株式会社刊 より)
「比叡山」や「比良山」を背景に、夏は「水泳場」で人気を博したびわ湖の西岸(湖西)の各地域を北上し、「近江今津駅(おうみいまづえき、同高島市。当時は同高島郡高島町)」へ至る、総延長51.0kmの路線でした。
余談ですが、「近江今津駅」が所在していた周辺の地名「高島」は、百貨店「高島屋」の屋号の由来になった場所だそうです。
毎度おなじみ「Wikipedia #高島屋」から。
1831年(天保2年)、京都で創業者・飯田新七が古着・木綿商を開き、義父の飯田儀兵衛の出身地である近江国高島郡(現・高島市)から髙島屋と名付けた。明治期の半ばから貿易業に参入し、1919年(大正8年)には、株式会社 髙島屋呉服店として大阪・長堀橋に店を構える(後略)。
ところで、社名になっている「江若」というのは、かつての旧国名だった「近江(現在の滋賀県)」と「若狭(現在の福井県西部)」から取られています。
ということから、路線のもともとの計画としては「近江と若狭を結ぶ」というものだったのですが、建設費の問題、府県境の山岳地帯で予想された難工事、などの問題があり、若狭まで達することなく「近江今津」が終着駅になりました。
ただ、系列のバスでは若狭の「小浜方面」へ行くことが出来たので、そちらでは「社名の目的を果たした」ということでしょうか。
それでは、展示を拝見して行きたいと思います。
次回に続きます。
今日はこんなところです。