初秋の筑前・筑後をひとり旅2019 その30 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

 

 

福岡県「筑前・筑後」を巡るひとり旅、初日は「大牟田駅(おおむたえき、福岡県大牟田市)」駅前でレンタサイクルをお借りして、ユネスコ「世界文化遺産」に登録されたかつての「三井三池炭鉱」関連史跡を巡っています。

 

 

明治中期に建設され、大正・昭和と「炭鉱都市・大牟田」を支えて来た、ユネスコ「世界文化遺産」の「三井三池炭鉱 宮原坑(みやのはらこう)跡」を見学しています。 


こちらの操業自体は昭和の初期に終了したそうですが、令和の現在になっても、往年の全盛期の姿を遺す貴重な遺産です。 

しかし、実に絵になります。

 

 

さて、その「宮原坑跡」の北側にも、付帯する史跡跡が続いていました。ちょっとそちらの方も探索してみたいと思います。 

 

 

坑道跡から続く水路。一部では、レンガ造りの擁壁が遺されています。

ここ「宮原坑」のみならず、炭鉱での石炭採掘の際には、掘り進めて行くに従って湧出する地下水に常時悩まされたそうです。


「宮原坑」では、当時最先端のイギリス製の排水機が設置されていたのですが、驚くべきことに坑道の閉鎖からはるか後年の平成10(1998)年頃まで、当時の機具を使用して、坑道内に貯留した地下水を組み上げることをしていたそうです。 

 

 

「宮原坑跡」前を走っていた「三井三池炭鉱専用線跡」を左に望む。 

 

 

そこから振り返ったところ。

線路跡はここでもはっきりと遺されています。


ただし、この一帯の「三井三池系炭鉱」を網の目のように結節していた専用線ですが、この「宮原坑跡」の傍では、坑道側に線路が分岐していたり、産出された石炭を積み込むための貨物ホーム跡などは発見出来ませんでした。 

 

 

さらに構外を進みますと、いまは使用されていない変電所跡も遺されていました。 

 

 

 

 

電線の類いはすっぱりと抜かれてはいますが、

変電所独特の碍子などは当時のままです。 

見るに、戦後になってから設置されたもののようですが、先ほど触れたように、坑道跡からの湧水を排出する目的で設けられたものだったのでしょうか。 

 

 

 

 

いやしかし、明治の稼働開始以来の姿をそのままに遺す、実に興味深い史跡でした。 

 

 

明治維新を迎え、急速に発展した近代日本を支えて来た象徴、とも言える「宮原坑跡」。

ただその影には、危険な環境で命懸けで働いた人々の貢献というものが多大なものだったのだなと痛感します。

そういった経緯を思いながら、貴重な遺産を見られて、実に感慨深い思いを抱いた訪問になりました。はるばるやって来て良かったと感じます。


次回に続きます。

今日はこんなところです。