初秋の筑前・筑後をひとり旅2019 その29 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

福岡県「筑前・筑後」を巡るひとり旅、初日は「大牟田駅(おおむたえき、福岡県大牟田市)」駅前でレンタサイクルをお借りして、ユネスコ「世界文化遺産」に登録されたかつての「三井三池炭鉱」関連史跡を巡っています。

 

 

その「世界文化遺産」のひとつ、明治の殖産工業に多大な貢献を果たした「三井三池炭鉱 宮原坑(みやのはらこう)跡」を見学しています。 

 

 

完成、操業開始は明治31(1898)年に遡るという、「三井三池炭鉱」の中でも主力の坑道だったと言います。

そしてこちらの史跡跡では、現役さながらの風景がそのまま遺されているのが特徴です。 

まるで100年以上前に引き戻されたかのような雰囲気、構内を巡っていますとわくわくもします。

 

 

 

「イギリス積み」と呼ばれる、当時としては最先端だったレンガ造りの塔屋の前には、地下深くから産出された石炭を運び出していたトロッコ群。 


 

トロント内部を覗いてみますと、結構な広さがあります。ここに満載された石炭、出荷の前に手作業で選別が行われていました。

採掘するだけではなく、その後にもさまざまな工程を経ていたようです。 

 

 

 

車軸には、お馴染み「HITACHI」の文字とマーク。 

 

 

そして「MIIKE(三池)」の文字を発見。 

おそらくは、昼夜の差もなく次々と産出される石炭を、地下深くから地上に搬出していたこのトロッコだったのでしょう。

 

 

その隣には、朽ち果てた「従業員控室」も遺されていました。小さな小屋です。 

 

 

 

すっかり荒廃したその室内、無造作に置かれた急須や湯呑みが、なんとも言えない雰囲気を醸し出していました。昼夜を問わない操業、想像以上に厳しい仕事だったに違いありません。


 

そんなことをふと思いながら、今度は道続きになっている構外の様子を探索してみたいと思います。


次回に続きます。

今日はこんなところです。