初秋の筑前・筑後をひとり旅2019 その28 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

福岡県「筑前・筑後」を巡るひとり旅、初日は「大牟田駅(おおむたえき、福岡県大牟田市)」駅前でレンタサイクルをお借りして、ユネスコ「世界文化遺産」に登録されたかつての「三井三池炭鉱」関連史跡を巡っています。

 

 

 

「JR大牟田駅」を出て、ここまでさまざまな炭鉱関連史跡を巡って来ましたが、かつての栄華を思い起こさせられるような、はじめて目にするものごとばかりでしたので感心しきりです。 

 

続いてやって来ているのは、近年になって、日本の明治殖産工業に多大な貢献を果たしたことから「世界文化遺産」に登録された「三井三池炭鉱 宮原坑(みやのはらこう)跡」です。

開設は明治31(1889)年、実に120年以上前に建造された、当時の面影をふんだんに遺す、貴重な史跡です。

 

 

ボランティアガイドの方とともにいよいよ構内へ。「お好きなタイミングで撮ってくださいね!」とご配慮頂いたので、あちらこちら撮影してしまうほど、見所がたくさんです。 

 

 

まず敷地内の中央には、銀色に鈍く輝くこの櫓が存在感たっぷりです。地面の方に目をやりますと、なにやら大きな箱のようなもの。 

 

 

 

この櫓の下には「宮原坑」の坑道口がすぐ設けられていまして、その坑道と行き来するために設けられた「昇降用ゲージ」、すなわち「エレベーター」でした。

 

坑道で働く作業員のみならず、作業に必要な資材類、また産出した石炭を運び出すため、トロッコを積載出来るように、箱の中にはレールも据え付けられているのがわかります。

 

 

その坑道は、現在ではすっかりコンクリートの蓋が取り付けられていて、内部の様子は確かめられませんでした。ただ、かなり大規模なものだったようです。坑道までの深さは約160mもあったとのこと。

ちなみに、この「宮原坑」が閉鎖されたのは、昭和6(1931)年と、稼働からはわずか40年あまりのことだったようです。 

 

 

こちらが、その「昇降用ゲージ」全景。

人や資材類、トロッコを載せるのには意外に小さいもののように感じます。

大量に産出される石炭を運び出すのに、当時はフル稼働していたのでしょうね。 

 

 

ボランティアの方からここで、「炭鉱」と言いと、やはり危険な職場ゆえ、事故の防止には細心の注意が払われていた…とのお話しがありました。

 

関連施設にはさまざまな工夫が凝らされていたようで、この「昇降用ゲージ」ひとつ取っても地上に上げたトロッコが逸走しないように、地上側のレールには足踏み式のストッパーがあったりします。

具体的には、右下、蓋の下にあるペダルを踏むと、レール側のつめが起き上がり、トロッコ側の留め具に引っかかる仕組みになっていたとのこと。実際に操作もさせて頂きましたが、よく工夫されているなと感心します。 

 

 

櫓の片隅には、ゲージを昇降させていたワイヤーを司る、ウインチも遺されていました。

しげしげと近くで観察するのですが、やはり大きなものです。

 

 

そして、地下の坑道から地上に引き上げられた石炭を満載したトロッコは、選別のために場所を移動します。入り組んだ細いレール、放置されたトロッコ。

あえてわかりやすく整理せず、当時のまま遺されている様子、実に臨場感があります。

 

次回に続きます。

今日はこんなところです。